案内板

外島保養院記念碑 |人権現地情報

所在地 大阪市西淀川区中島2丁目10番地先(大阪湾広域臨海環境整備センター 大阪事務所斜め向かい堤防沿い)

1909(明治42)年4月に現在の大阪市西淀川区中島2丁目にあたる場所に大阪府主管のもと近畿、北陸の2府10県連合により隔離収容施設(定員300名)として、公立のハンセン病療養所「第三区連合府県立外島保養院」(以下「外島保養院」)が開設されました。外島保養院のあった場所は、当時は低湿地で水による被害を受けやすい立地であったため、いくつかの場所への移転が表明されましたが、移転先の地元住民による反対運動が起こり、移転は断念せざるを得なくなりました。
その後、現地での増床となり増設工事が行われていた1934(昭和9)年9月21日の室戸台風により入所者173名を含む196名の尊い命が奪われました。壊滅的被害を受けた建物の現地復興は不可能と判断され、大阪府内で代替地が決まらなかったため、長島愛生園がある岡山県邑久郡邑久町長島(現・瀬戸内市)に移転され、「府県立療養所・光明園(※)」と改称して1938(昭和13)年に再建されることとなりました。
この「外島保養院記念碑」は「らい予防法」廃止を記念して国立療養所邑久光明園入園者自治会により「外島保養院」跡地に1997(平成9)年11月19日に建立され、毎年9月に、関係者により犠牲者追悼行事が行われています。
(※)1941(昭和16)年に公立療養所の国立移管に伴い「国立療養所・邑久光明園」と改称。

記念碑

 碑 文

「明治四十二年四月 法律第十一号ニ基ヅキコノ地ニ第三区府県立「外島保養院」設立サレル 即チ 大阪府主管ノモト京都 兵庫 奈良 和歌山 滋賀 三重 岐阜 福井 石川 富山 鳥取 の二府十県連合ニヨル 公立ハンセン病療養所トシテ開設サレタノデアル

 昭和九年九月二十一日室戸台風ノ襲来ニヨリ施設ハ壊滅流失 患者百七十三名職員三名職員家族十一名ガ死亡スル大惨事トナリ生存患者四百十六名ハ全国六施設ニ分散委託 昭和十三年四月岡山県長島ノ西端ニ名称ヲ光明園ト改メ復興昭和十六年国立移管 邑久光明園ト改称現在ニ至ル

 平成八年四月「らい予防法」廃止サレル 強制収容絶対隔離ヲ根幹トシタ日本ノハンセン病対策ノ終焉ヲ記念シ外島保養院ノ日々ニ思イヲハセ茲ニ記念碑ヲ建立スルモノデアル

                             平成九年十一月 邑久光明園入園者自治会」

(2017/10/18)