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女紅場(にょこうば) |京都人権スポット

「交通機関」 京都市バス「河原町丸太町」下車鴨川丸太町橋の西詰め、丸太町通の南側

女紅場とは、明治初期に設置された女子教育機関。

女紅場址(にょこうばあと)

女子に対して読み書き算盤や裁縫・手芸を教育する場所のことです。

「女紅」とは「女工」とも表記し、女子の裁縫・手芸・染色などを指し、「紅」とは、工・巧・功を意味しています。

?幕末に民間で行われた裁縫塾に公教育の要素を組み合わせたもので、特に細民と呼ばれた下層社会の子女や芸妓・娼妓に必要最低限の教育を与えることを目的としていました。

1872年(明治5年)、上京区丸太町の旧岩倉邸に開設された女紅場、新英学級及女紅場(のちの京都府立京都第一高等女学校を経て、現在の京都府立鴨沂(おおき)高等学校)などはその代表的な例です。こうした女紅場は、その後女学校へと変遷を遂げた例も少なくありません。

山本八重(新島八重)は京都で初めてこの女紅場の教師として織物を教えています。

現在は、丸太町通りの鴨川西詰に「女紅場址」の碑があります。

ここがポイント!

わが国の男尊女卑の歴史の中で、常に忍従を強いられてきたのは女性でした。今では丸太町橋のそばに石碑が残るだけですが、女性の自立を目指して努力を重ねた先輩たちの意気込みを知ることができます。

(2013/12/02)