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与謝野晶子の碑 |大阪人権スポット

所在地 大阪府堺市堺区車之町東3丁2-1 泉陽高校

与謝野晶子は1878(明治11)年12月に、現在の大阪府堺市に生まれ、1942(昭和17)年5月までの63年の生涯を送りました。

与謝野晶子の肩書としては「歌人」「作家」「源氏物語口語訳家」などがあげられます。主な作品としては1901(明治34)年に歌集「みだれ髪」を出し、1904(明治37)年には戦地の弟を思う「君死にたまふこと勿れ」を発表しました。また、1938(昭和13)年には源氏物語を現代語訳した「新新訳源氏物語」を発表しました。

「君死にたまふこと勿れ」の誌では日露戦争に出兵し旅順にいた弟を思い、戦争で死なないでほしい、人を殺さないでほしいと戦争に反対する気持ちをつづりました。日本軍は旅順での戦いで5万9千人もの死傷者を出しました。与謝野晶子の作品の中には家族を大切にする表現がみられます。これも子どもを12人出産したことから家族を大事にしたのでしょう。

この誌の文学碑は与謝野晶子の出身校である大阪府立泉陽高校(当時の堺女学校)の中庭に1971(昭和46)年創立70周年記念事業として建てられました。

与謝野晶子の文学碑は生誕地である堺市内に17カ所あり、立像は2カ所あります。日本各地の与謝野晶子のゆかりの地にも文学碑が13カ所建てられています。

 

「与謝野晶子立像」    南海堺駅前

「君死にたまふこと勿れ」の碑文       大阪府立泉陽高校中庭

あゝをとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしへしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

(2017/12/28)