案内板

山代巴記念室 |人権施設情報

郵便番号 729-4304
住   所 広島県三次市三良坂町大字三良坂2825番地
電話番号 TEL.FAX.0824-44-2749
開館時間 午前9時~午後5時
休館日 月曜日、12月29日~1月3日
入館料 無料
交通機関 ①JR福塩線・三良坂駅から約800m
②中国自動車道三次IC降り国道184号線を尾道方面へ車で約20分
③中国横断自動車道尾道松江線三次東ICから車で約20分

http://www.city.miyoshi.hiroshima.jp/shakai_m/bunka_supotu/geijutsu/shisetsu/yamashiro/shisetsu1_2_4_3_2_2_2.html

山代巴記念室は、三良坂町の平和と人権と文化を大切にする町づくりに共感し、平和や人権運動など人間の自立を訴えてきた作家山代巴(やましろともえ)さんから貴重な資料を寄贈されたのを契機に、2000年4月に開設しました。
記念室に入るとまず山代さんの代表作『荷車の歌』を映画化した際に使われた映写機とフィルムが目に入ります。それを取り囲むように、山代さんの経歴や歩みを紹介した作品やパネルのほか、手紙や直筆原稿など、彼女の生き方を象徴する展示物が並べられています。これらの展示物は、合併前の三良坂町が山代巴さんや関係者から寄贈を受けたもので、約3000点のうち一部を公開しています。
山代巴は1912年に府中市で生まれました。女子美術専門学校(現女子美術大学)に入学するも、実家の家業が倒産し自活の道を強いられたため、中退。そのようななか、労働争議の指導者、 山代吉宗と結婚しますが、1940年には夫とともに治安維持法違反で検挙されます。刑務所内では、そこで出会った女性たちの封建的な農村社会における過酷な過去の体験や生活を知り、教えられ、励まされました。同じ人間として強い絆で結ばれ、それが以後の生き方や作家活動の原点となり、一途に生きようとする農村女性の姿を描いた『蕗のとう』や、民話形式で表現した『荷車の歌』などが生まれました。代表作となった『荷車の歌』は、山代巴が原水爆禁止署名運動で県北各地を歩きまわっていたなかで生まれました。当時の閉ざされたムラ社会の因習に、抑圧され苦難を背負いながらも前向きに生きる女性の姿を描いたこの作品は、戦中・戦後を生きぬいて新しい時代を迎えた人びとに深い感動を与えました。
また、山代巴は人類史上初の被爆地広島で、いちはやく峠三吉らと被爆者の実態調査や支援活動を展開する一方で、中国山地の谷間を歩きまわりました。戦後もなお、男社会の中でもの言えぬ農村女性の自立を願い、彼女らの疑問や苦しみ、怒りに耳を傾ける山代巴。 それは、おのれの縛りから解く自助の心に根ざした山代巴の行脚でもありました。
また、農村女性の聞き取り活動の一方、女性サークルを組織し自己表現力を育て人と人の連帯の大切さを身を持って示しました。
こうした山代巴とともに書を読み、生活を記録しながら学び合う各地のサークル活動は、山々に響きわたる木霊のように人権の萌芽を呼び、網の目の如くに広がっていきました。  2002年12月、こうした山代巴の人間一人ひとりの自立と連帯を深めようとする歩みに学び、現代の民話が生まれ、人を大切にする文化をより大きく育む願いを掲げて、「山代巴文学研究所」が設立されました。
平和と人権の確立を求め、その基礎である人間一人ひとりの自立と連帯の広がりと深まりが求められている今日。一人の百歩より、百人の一歩を求めた作家・山代巴の思想と行動を、このような現代にこそ、山代巴記念室を拠点として私たちは継承し、発展させたいと願っています。

(2013/07/01)