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文明開化と食肉文化(1) |シリーズ

「タテマエとしての肉食禁止」

日本社会では、古代から肉食は表向き「禁止」されていました。
たとえば、675年に出された、いわゆる「殺生禁断の詔」がその最も早い事例ですが、新聞報道などによると、実際には官吏(役人)たちの多くが肉を常食としていたことが考古の発掘によって明らかにされています。

世間一般には、仏教に由来する「殺生」を禁止する思想と、神道にある「穢れ観」とが微妙に融合した結果、タテマエとしての肉食の禁断が慣習となっていったと考えられます。

江戸時代には、教科書などにも登場する徳川家第五代将軍の綱吉が「生類憐れみの令」を1687年に出したことで、殺生禁止の考え方がより強化されましたが、これは綱吉将軍の個性とあいまってその治世に限定されたものだったといえます。

むしろ、日本社会には農耕を重んじる思想(たとえば五穀豊穣(ごこくほうじょう)など)が根強くあり、肉食は「穢れ観」から避けられる傾向にあったといえますし、天皇による儀礼(新嘗祭(にいなめさい)など)を通して、米食の優位性が強調されてきたことが、その本質にあるといえます。

「前近代の肉食」

古代や中世にまったく肉食がなかったかというと、そうではありません。
著名な宣教師ルイス・フロイスは、ヨーロッパ人の食文化と比べて「日本人は、野犬や鶴、大猿、猫、生の海藻などをよろこぶ。彼らは牛を食べず、家庭薬として見事に犬を食べる」と記しています。

また、肉食や料理の専門家である原田信男氏によると、室町時代の料理本のなかには、食する「四足」類として「猪・鹿・かもしか・熊・兎・狸・かわうそ」などが挙げられていることがわかります。

江戸時代になると、17~18世紀初頭、獣肉食について記した書物がたくさん刊行されました。
たとえば、1630年に出された「和歌食物本草」では、「鳥」類として「鶏・鴎(かもめ)・鴨・からす・雁(かり)・とき・うずら・鷺(さぎ)・雲雀(ひばり)・雀」、「獣」類として「猪・鹿・かわうそ・亀・うみがめ・狸・猫・鼠・兎・牛・ 狐・やまいぬ・てん」といった具合にかなり詳細に記されています。

(2015/09/28)