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あらゆる人的・物資的な動員をはかる総力戦の時代に、日雇い労働者のまちが活気づいていたというのは、意外なことかもしれません。
しかし、当時、徴兵されなかった人びとを含めて多くの人が釜ヶ崎へと職を求めて流れ着き、それなりに糊口(ここう)をしのいでいたわけです。
もちろん、高額に跳ね上がった日給だけに目を奪われて、日々散財していたわけではなく、まち単位で実施される奉仕活動に余念がなかったのも事実です。
たとえば、新聞には「われわれの街はわれわれの手で美しくしよう」という見出しで、釜ヶ崎ではじまった清掃隊による環境美化の活動が紹介されています。
自分たちのまちは自分たちの手で清潔にという、まるで現在おこなわれている特別清掃事業のはしりのような取り組みもありました。
そのほか、祝祭日には「日の丸」を家ごと(あるいは宿ごと)に掲揚して、まちの意思統一をはかったりと、思想の統制も積極的におこなっていました。
そして小学校もまた教化の機能を果たしていきます。
(2015/04/06)