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(2)─そもそも、ウーマン・リブはどうしてはじまったのか?─ |ウーマン・リブ再考

男子学生がバリケードのなかで「権力」や「社会規範」と闘っている時、女子学生に与えられた役割は食事をつくることや“同士だから”という理由での男子学生のセックスの相手でした。

「なぜ、一緒に闘えないのか?」「社会規範と闘っているはずなのに、ここには社会規範としての性別役割分業が存在している」女子学生たちの違和感は次第に大きくなりました。

「権力」や「社会規範」と闘っているはずの「学生運動」のなかでの男女の権力関係、性別役割分業の存在に違和感を抱いていた女子学生たちが決定的に男子学生と自分たちとの違いを感じたのは、“学生運動を終えた”あと、男子学生が次々と就職していった時でした。

「彼らには戻る場所(大学)も行く場所(就職先)もあるが、私たちにはない」

そんな思いを抱いた女性たちが、本当の意味での社会規範、権力と闘おうとしたのがウーマン・リブだったのです。そして、それは同時に、学生運動のなかで男子学生がつくった権力や規範に抵抗しなかった自分自身の見直しでもありました。

また、ウーマン・リブを担った女性は20代の学生だけではありませんでした。
10代から30代、40代の女性がそれぞれのカタチでリブに参加しています。

日本のウーマン・リブは、単なるアメリカからの“輸入もの”ではなく、日本の女性たちの「生き難さ」や「なんか違うという違和感」、それは、日常生活での家族との関係、恋人との関係、夫との関係のなかで多くの女性が感じていたものから生まれたのです。

 

(2014/08/04)