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(2)「千日前と三昧聖」 |千日前今昔物語

千日前の墓地で葬送に携わっていたのは三昧聖(さんまいひじり)です。三昧聖とは、「おんぼう」(御坊・煙亡・煙坊などとも書く)と呼ばれ、墓所近辺に居住して土葬・火葬に際して遺体の処理をしたり、墓地の管理をした人たちです。

死穢※1(しえ)に関わるため、地域社会からは賤視されることも少なくありませんでした。

千日前では「東の坊・西の坊・中の坊・隅の坊・南の坊・北の坊」の六軒が墓所聖六坊と称され、葬送を取り仕切っていました。

最近の研究では、千日前の三昧聖は治安維持のために遺体に不審がないか調べることを公儀※2の命でおこなっていたことが指摘されています。現在の監察医のようなこともしていたんですね。

彼らは火葬場に遺体が持ち込まれる前に喪主から遺体の検分に招かれることもあり、その際は羽織を着て市中の家を訪れていたといいます。また、彼らが次第に火葬の実務をしなくなっていたことも明らかになってきました。

一方で三昧聖たちは千日前の火葬場横にあった阿弥陀堂を「本堂」と呼び、定期的に法要をして、死者の供養をおこなっていたのです。千日墓所は単なる墓地・火葬場ではなく、大坂の町で亡くなった大勢の人びとの霊を共同で追悼するための宗教施設であり、三昧聖はそこで活動する宗教者だったんですね。

※1 ?死穢…「死」そのものは穢(けが)れたものとされていた。
※2 ?公儀…公権力のこと。江戸幕府を指すが、藩を指していうこともある。

 

(2014/12/02)