シリーズ

(3)「千日前と火葬場」 |千日前今昔物語

千日墓所では一日に平均20人以上の遺体が荼毘(だび)にふされていました。となると、問題になってくるのが火葬場から絶えず出てくる灰の処理でした。

当初は火葬場周辺に灰を積み上げた「灰山」を作っていましたが、雨で灰が流れ出して周辺の田畑に流入するようになります。そのため、次第に周辺地域と摩擦を生むようになり、訴訟にも発展していきました。

遺体に触れることを「穢れ」と感じる当時の意識のもとでは、そうした灰が流れ込んだ田畑の作物は「年貢にできない」というのが訴えの理由でした。

灰の流入は阻止したいが一方で、遺体を処理しないわけにはいかない。一度に浮上した2つの問題。一体、どのように解決されたのでしょうか?

なんと、大坂三郷の町の人びとが互いに資金を出しあい、集まったお金で三昧聖たちが周辺の土地を買い取ったのです。しかし、こうした大坂の町の人びとによる支援はこの時ばかりではありませんでした。

実際、その後も千日墓所の施設が風雨や老朽化によって再建・修理が必要になった時には、再三にわたって大坂の町の人びとがお金を出しあってそれを実現しています。後には、この墓所を維持するために「無縁講」と呼ばれる組織が作られたこともわかっています。

このように千日墓所をめぐる問題を、大坂の人びとも一緒になって考え、行動し町全体の力で解決しようとしてきました。その背景には、単に墓所を排除・忌避する意識だけではなく、大坂の町にとって必要な公共施設としての認識もあったことがわかります。

 

(2014/12/02)