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(5)「近代の千日前」 |千日前今昔物語

大坂の千日前は近代になって大きくその景観を変えることになります。1873年(明治6年)に政府の方針で火葬が全国的に禁止されると、千日前の火葬場が廃止されてしまいます。

その後は火葬場周辺にあった墓も全て阿倍野に移転することになり、かつての墓所としての景観は消失することになります。墓所で火葬に携わっていた千日前の三昧聖は仕事を失うことになりました。

大坂の町の人びとは、これまで通り千日前で葬送ができるよう請願もしますが認められることはなく、近代には千日前から三昧聖たちは姿を消すことになります。

次に問題になったのは跡地をどう利用するかということです。結局、しばらくの間は見世物小屋などの仮設興行がおこなわれる空間となりました。

幽霊の人形などを観客に見せる興行は多くあったそうですが、1886年(明治19年)に火災が起こり、翌年には防火のため仮設建築による再建が禁止されます。

こうして、今度は仮設興行から常設施設「本小屋」による興行がおこなわれる本格的な娯楽空間になっていきます。

極めつけは「楽天地」という総合レジャーランドの建設です。楽天地は、1914年に建設され、劇場・演芸場・映画館にくわえ、メリーゴーランド、ローラースケート場、水族館なども併設された複合施設でした。

1930年に経営不振で閉鎖されますが、開館当初はまさに娯楽の殿堂と言えるものでした。当時の絵葉書には「一日遊べるところ」だと書いてあります。

近世の墓地から、近代になってそれとは真逆の娯楽施設へ。千日前は、大胆な変貌を遂げていきました。ただ、千日前の墓所は観光地としても認識されていて、その素地はあったと言えるかもしれません。

 

(2015/01/05)