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「女学校の誕生」(2) |女学校と乙女文化

「国の未来を担う子どもの教育を愚かな女性にまかせられるかっ!」ということで始まった近代の女子教育。
1899年「高等女学校令」が制定され、尋常小学校を卒業した女の子の進学先として高等女学校の設置が進められました。「じゃ、それまでどうしてたの?」という素朴なギモン。
基本、卒業後は働いていた、のでしょう。尋常小学校に通える子も限られていたのです。
その限られた子たちの進学先としては・・・

(1)女子師範学校や公立の女学校
師範学校とは、学校の先生を育成するための学校です。また、京都の新英学校などの公立女学校もありました。

(2)私立の学校
キリスト教の宣教師さんたちが開いた私塾からはじまった女学校が横浜や神戸など開港地を中心にありました。
大阪ではプール学院や梅花学園、大阪女学院などが歴史のあるキリスト教系の私立学校ですね。
あとは、キリスト教系ではない跡見学園とかです。

学制公布(1872年)直後などは、中学校への進学も可能でした。なぜならその頃は「男子のみ」との規定がなかったから。まあ、「女子が行くわけない」なんて思っていたから規定がなかったのでしょうね。しかし、中学校に進学する女子もいたそうです。まさに想定外だったでしょう。

そんななかで始まった、高等女学校の設置。これにより、全国に一校は高等女学校が創られるようになりました。

(2014/05/07)