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[LGBTと人権]真っすぐに信じた道を突き進め ~自分らしく生きる道~(1) |人権情報

2018年7月30日、エル・おおさかにて広報委員会主催の人権講演会を開催し、第5代WBC女子世界フライ級チャンピオンの『真道ゴーさん』をお招きしてご講演いただいた内容を、2回に分けて掲載します。

自ら(性同一性障害)を受け入れるのに20

真道 ゴー さん

私は31歳になりましたが、「自分らしく前を向いて生きていこう」と思えたのは、20代でした。それまでは自らを受け入れられず悩み続け、一度は命を絶とうと考えたこともありました。

最初に言っておきたいことは、まず自分自身(性同一性障害であること)を認めるのに20年かかったことです。私の両親ですら理解してもらうのに25年かかりました。そんなことを今日、「じゃあ理解してくださいね」と言っても理解できる問題ではないと思っています。

だから私自身が、どういうことを感じながら生きてきたのか、「自分らしく前を向いて生きよう」と、どういうキッカケで思えるようになったのか、そこではどんな出会いがあったのかということを聞いていただいて、まずは知っていただければと思っています。

「LGBTは生産性がない」発言

国会議員がLGBTに関して「生産性がない」とか、「そんな悩み、そんな差別、世の中にあるのか」という発言をしていましたが、LGBTの多くの人たちは本当に悩んでいます。

私自身はこうした形で人の前に出させてもらったり、ボクシングを通じて、いろんな人と出会う中で今の自分がありますが、やっぱり私の周りでも生きにくさを感じながら、涙を流しながら、生活している人たちがいます。また、東京で活動されているLGBT当事者の方が「自分の知り合いは5年間で5人自殺した」と言っていました。こうした状況を考えると、まだまだLGBTについての理解が不十分であるということがいえます。

LGBTに関してさまざまな知識を持つことは確かに大切なんですが、 本当に重要なのは、それを自分自身の心の中でどう感じ、どう思っているのかだと思います。

みんなそれぞれ違う

LGBTについて講演活動をされている方はたくさんいます。しかし、「じゃあ真道の言ってたことがすべてなのか」というと決してそうではありません。LGBTの人たちはみんなそれぞれ違います。女性・男性がいて、じゃあ男性はみんな同じ生き方をするのか、みんな同じ考え方なのか、みんな同じ性格なのか、それは違います。人には心があり、それぞれ違うので、私の言っていることは、決してすべてのLGBTの人たちの声ではありません。

私はトランスジェンダーです。トランスジェンダーの一人として生まれた私自身が感じてきたもの、歩んでいく道があるというだけのことなのです。また、LGBT以外にも、実はもっと性の多様性があるということも忘れてはなりません。

「性分化疾患」って知っていますか

「同性愛」とか「性同一性障害」という言葉は、最近よく知られていますが、「性分化疾患」を知っている人はとても少ないです。

私が世界チャンピオンになった25歳の時、ある中小企業の男性から、私のスポーツジムに電話があって、てっきりスポンサーになってくれる話かと思ってお会いしました。ところがその男性は、すごい深刻そうな顔で椅子に座っていて、私が椅子に座った瞬間、いきなり「『性分化疾患』って知っていますか」と私に聞くんです。私は「申し訳ありません。そういう言葉は知らないです」と返答すると、その男性は「あなたが『性同一性障害』って新聞とかに載っているのを見て、あなたなら何とか相談に乗ってくれると思って連絡させてもらいました」と言うんです。その男性の子どもは、男の子として生まれ、男の子として育てられましたが、小学生で体に丸みが帯び、中学生になると胸が出てくるようになり、本人が「僕は女の子や」と言うので、病院で診てもらったら「性分化疾患」と診断されたというのです。

結局、その男性から「この子をどうしたらいいんですか」と相談され、私にできることといったら、運動を通じて笑顔であったり、何か頑張る力を身に付けさせてあげられないかと思い、スポーツジムで受け入れて、その子どもの居場所の提供から取り組んでいくことにしました。

男らしさ・女らしさよりも「自分らしさ」

私は、「お前は普通じゃない」「お前はみんなと違う」「お前は気持ち悪い」などと言われ、本当に悩みました。中学生の頃、「『普通』っていったい何なんや!」と辞書で調べました。

世の中の男らしさ、女らしさは、周りの大人が作り上げたものだと思います。男は、外でたくましく働く。でも働くのが苦手な男性もいます。女の人は几帳面で、家事や料理が得意。でも料理が苦手な女性もいます。色の概念もそうです。ランドセルは、男の子が黒色、女の子は赤色だと決めつけられているように思います。大人は無意識のうちに、子どもが小さい時から、男には強さ、女には優しさを求めてしまいがちです。こうした男らしさや女らしさよりも「自分らしさ」、つまり個性を大切にすることがとても重要であると思っています。

そう思えるようになったのは、現在の児童発達支援などの仕事です。自分も個性を持って生まれていますが、目の前の子どもたちを見ていると、「そこで喜ぶんや」「それが楽しいんや」と、自分が感じてきたことのない行動をする姿を見ながら「あ、個性ってこういうことやな」って思えたんです。

幼少時代から大学まで

小さい頃は、両親と姉、兄の5人で生活していました。姉は、妹の私が生まれてすごく嬉しかったみたいです。私と一緒に服を買いに行くのを楽しみにしていました。リカちゃん人形で一緒に遊ぼうとやって来るのですが、姉との遊びは嫌いでした。外で兄や兄の友だちと鬼ごっこしたり、野球をしたりするのが好きでした。

保育園でも「本当に変わった子や」と言われていました。靴をはかず、裸足で保育園に通ったり、家の裏の滝で遊び、毎日泳いで、ターザンのような遊びをしていました。そのおかげで、運動神経だけは良かったんです。

小学校に入っても、やんちゃなことばかりして遊んでいました。人をいじめたりして、親にどれだけ頭を下げさせたかわかりません。兄のお古を好んで着て、男の子と遊ぶのが好きで、女の子と遊ぶのが嫌いでした。

中学校に上がると、初めてスカートというものに出会います。「あ、自分は女の子なんや。じゃあ女の子はスカートをはかなあかんのやな」と自分の中で義務みたいに「女の子はこうなんや」という思いになりました。
私は、中学校でソフトボール部に入ったのですが、バスケットボール部の1年生がずっと大声出しながらグラウンドを1日2時間ぐらい走っているのを見て、絶対あっちの方が楽しそうと思って、2ヵ月ぐらいたってバスケットボール部に転部しました。

高校進学の時も、中学校の通知簿は体育が5、数学が3、美術が3でそれ以外は1というような成績で、内申書も最悪です。「お前に行く高校はない。どうする?」と言われていました。バスケットボールのおかげで和歌山県の私学2校から推薦をいただいて、全面的にバックアップしてくれる高校を受験したのですが、不合格になりました。
もうつぎがないので、100%推薦の高校を受験することになり、実技テストで、100メートル走、ソフトボール投などで、一番だったおかげで合格しました。実は私の高校時代の同級生には、田中理恵さんがいます。皆さんがご存知の体操選手で、本当に仲のいい親友です。

高校2年生の時にはバスケットボールで和歌山県代表に選抜され、3年生の時はエースとして活躍できる選手に育てていただき、1部リーグの大学に推薦で行けるほどになりました。推薦といってもそれなりのお金は要ります。家が貧乏なので、両親が親戚からお金を借りてくれたのと、私も奨学金を借りて、大学に進みました。
しかし、大学でも女性として生きる違和感に苦しみ、同年代の部員ともうまくいかず「自分が何者なのか」「どうやって生きていったらええんやろ」とわからなくなって「死のう」と思ったんです。風呂場で包丁を手に当てたり、ビルの上にも立ちました。そんなとき、たまたまネットで「性同一性障害」という言葉に、「私以外にも同じような人がいるんやな」という現実に出会ったんです。

このあとのお話は、「真っすぐに信じた道を突き進め ~自分らしく生きる道~(2)」につづきます。

 

《真道 ゴー(橋本 浩(ごう))さんのプロフィール》 

株式会社真道  代表取締役   1987年7月18日生まれ

■児童発達支援デイサービス「モンキーズスクール」を開校し、ボクシングフィットネスジムも経営。
・以前から夢であった子どもたちや悩みを抱えている人たちにボクシングやスポーツを通じて「笑顔と勇気と夢」を届けることに全力を注いでいる。また、「自分らしく」というテーマを掲げて、学校・企業・自治体などを中心に講演活動もおこなっている。

<指導歴>
スイミングインストラクター 、幼児体操教室、キッズボクシング、児童発達支援施設でのスポーツ指導、体育家庭教師

■リングネームの『真道 ゴー』は「真っすぐに信じた道を突き進む」という思いを込めて自ら名付けた。

■和歌山県初の世界チャンピオン
・2011年5月  第2代OPBF女子東洋太平洋フライ級チャンピオン
・2013年5月    第5代WBC女子世界フライ級チャンピオン(2度の防衛)
 (27歳のとき、医師から正式に「性同一性障害」の診断を受ける)
・2017年7月  性別適合手術と戸籍変更を終えて男性になり、一般女性と結婚
(名前も「橋本めぐみ」から「橋本 浩(ごう)」に変更)
・2017年10月 引退

■プロボクサー歴
・総試合数20   勝ち16(KO勝ち11) 敗け4

【学生時代の競技歴】
<小学生>和歌山陸上選抜チーム 種目(ハードル、走り幅跳び) 、スイミングスクール選手コース
<中学生>バスケットボール 和歌山代表
<高校生>バスケットボール 2年生から和歌山代表
<大学生>天理大学にて一部リーグでプレイするも、ボクシングの道へ

                                          以 上

(2019/01/21)