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新型コロナウイルス感染禍における人権課題  ―IT革命の進化をふまえて―(2) |人権情報

エッセンシャルワーカーへの差別

以上のような情報の在り方やフェイク情報が人びとの差別行動を誘発し、新型コロナ問題に関わっては、多くの具体的な差別事象を惹起(じゃっき)させた。新型コロナ問題を口実に東京都内では2020年2月29日にヘイトスピーチともいえる中国人排斥デモが行われた。すべての分野で新型コロナウイルス感染症にともなう人権問題がひき起されたといっても過言ではない。経済、労働、政治、教育、生活、医療、意識面などすべての分野で人権上多くの問題が発生し、多くの社会的矛盾を浮かび上がらせた。

とりわけ新型コロナ感染禍で多くの人びとの生活を支え続けた医療や介護をはじめとするエッセンシャルワーカー(生活必須職従事者)への差別やクレームには、聞くに堪えない言動もあった。こうした人びとは、私たちの暮らしを守り、社会を支えるために働いている人びとであり、新型コロナに感染するリスクが高い環境にいる人びとでもある。感謝して当然であるにもかかわらず、差別的な言動や理不尽なクレームで非難するのは極めて問題な行為だといえる。

新聞紙面でも多くの具体的事例が報道されていた。感染者を受け入れている大阪市内の病院の事例では、病院職員がバスに乗車しようとしたところ、バスの中から乗客が「コロナがうつるから乗るな!早く扉を閉めてくれ!」と叫ぶといった行為まで紹介されていた。また宮城県の病院職員の事例では、子供を保育園に預ける際「園の中に入らないでほしい」と言われたことや、職員の親が利用していたデイサービスから「感染が心配」と言われ利用できなくなったといった事例、職員の家族が勤務先の会社から出勤停止を告げられたというものまであった。まさに差別意識と密接に関わる「不当な一般化」である。

もし医療に携わるこうしたエッセンシャルワーカーが、先述の事例のようなことが頻発し仕事を継続することができなくなれば、新型コロナ感染症へ対処する病院が崩壊してしまう。それは紛れもなく新型コロナ感染症の拡大につながる。

感染者の数や重篤度、死亡数などにも差別が

また新型コロナ感染者やその関係者が差別的な言動を受ける問題だけではなく、感染者の数や重篤度、死亡者数などにも差別的な状況が現われた。以前より社会的矛盾は被差別者や弱者に集中的に現われると指摘してきたが、新型コロナ感染症でも同様である。言い換えれば社会的弱者が新型コロナ感染症にともなう被害を集中的に受けているということである。その集中度が弱者の困窮度を鮮やかに映し出している。身体的弱者としての高齢者の死亡数が多数を占めているということはその顕著な事例だろう。もちろん新型コロナ感染症は、弱者だけではなく多くの分野に未曾有の悪影響をもたらしている。しかし脆弱な生活基盤しか持たない人びととそうでない人びとでは、その影響は大きく異なる。

症状や死者数に現われる差別として、明確な数字が公表されたニューヨーク市の事例を紹介しておきたい。米ニューヨーク市の2020年4月8日の公表データでは、新型コロナ感染症による人種・民族別の死者数が明らかになっている。人口10万人当たりの死者数が、ヒスパニックと黒人(アフリカ系)が、白人とアジア系よりも2倍ほど多いと公表されている。
ニューヨーク市は、6月下旬には感染率や死亡率を郵便番号ごとに色分けして公表していた。ある貧困地区は人口10万人当たりの感染者が4,508人、白人富裕層が多いマンハッタン地区は1,639人であった。感染率2.7倍、死亡率3倍という結果である。
感染者が少ないエリアと多いエリアの世帯年収の比較では、少ないエリアは世帯年収の中央値が約1,250万円(円換算)で、多いエリアは世帯年収の中央値が約750万円となっており、1.6倍の差になっている。先述のような格差が生じる要因を市保健当局は「ヒスパニックや黒人は(重篤になりやすい)基礎疾患を抱えている率が高い」と指摘し、日常生活における医療格差(保険加入の有無など)や貧困と関係しているとも述べている。

またフランスに拠点を置く国際的な通信社であるAFPの報道では、シカゴではアフリカ系米国人の全市民に対する割合はわずか3割であるにもかかわらず、新型コロナウイルスによる死者の68%はアフリカ系米国人となっていると紹介されている。こうした傾向はノースカロライナ、ルイジアナ、ミシガン、ウィスコンシン州の他、首都ワシントンでも同様だと明記されている。以上の状況は米国だけではない。感染者や死亡者数が米国に次いで多いブラジルをはじめとする他の国でも同様である。

日本国内でも正規か非正規か、勤務先が大企業か中小零細企業かなどによって、新型コロナ感染症の影響は異なる。こうした悪影響を少なくすることが差別的状態を是正するためにも重要であり、社会全体の悪影響を最小にすることにもつながる。多くの非正規をはじめとする不安定労働者が新型コロナ感染禍において、より強い負の影響を受けており、これらの人びとのセーフティーネットを確実にすることが新型コロナの悪影響を最小限に抑えることになる。つまり新型コロナ感染禍においても、可能な限りその悪影響が不安定層や被差別層、弱者などに集中的に現出しないようにすることが、すべての人びとの利益や感染抑止につながるのである。こうしたことは先述した米国やブラジルの事例からも明確である。

感染抑止と早期発見を遅らせる感染者非難

一般的にも差別撤廃の取り組みは被差別者の権利回復や救済だけではなく、社会全体のプラスになるということを十分に理解する必要がある。今日の国際社会で精力的に取り組まれているSDGs(持続可能な開発目標)をはじめとする取り組みは、それらのことを顕著に示している。差別撤廃や人権確立を掲げるSDGsの推進が地球温暖化などをはじめとする地球環境破壊を抑止することにつながり、人類全体の利益になることは自明のことである。同様に新型コロナ感染禍における差別的状態の是正は、感染拡大の抑止につながり、各分野の崩壊を防ぎ、感染抑止に向けた持続可能な社会の構築につながる。

先述したようにエッセンシャルワーカーへの差別的な対応によって、こうした人びとが担っている医療や介護をはじめとする生活の基盤を担う分野が崩壊すれば、新型コロナ感染症対策の取り組みも崩壊する。繰り返すが感染者の早期発見と治療が感染拡大を抑止し、すべての人の利益になる。逆に感染の可能性が高い分野で仕事をしなければならないエッセンシャルワーカーを差別したり、感染者を非難することは、感染拡大抑止と早期発見の取り組みのマイナスになる。非難の対象にするのではなく多面的な支援をすることが重要なのである。非難の対象になれば多くの人びとは検査も受けず感染経路も申告しない。そうしたことが結果として感染者を把握することを困難にし、感染状況の正確な把握をより困難にする。それが感染防止や抑止の方針を誤らせ、感染拡大や感染爆発を引き起こすことにつながる。

もちろん感染しないように日常生活を送ることは重要なことである。それらの重要性と感染者への偏見や非難、不適切な対応はイコールではない。今やどこで感染しても不思議ではない状況にある。感染してしまった人びとをバッシングすることは、感染問題の解決とは逆行することを十分に認識する必要がある。つまり「自粛警察」行動は、一方で感染者の早期発見を遅らせ、感染拡大を助長する。

「自粛警察」行動の背景にソーシャルメディアなどのフェイク情報に乗せられて、不当に特定の人びとを非難する心理と一部共通する面がある。非難や人権侵害の言葉を浴びせる人びとの原動力は、誤った「正義感、義憤」などである。そうした「正義感」に基づく言動が人権侵害になっていることも少なくない。新型コロナ感染禍において今一度、短絡的でない理性的な対応が求められていることを再認識すべきである。

かつて毎日新聞紙上で、地域エコノミストの藻谷浩介(もたにこうすけ)さんが述べておられた「今だけ、金だけ、自分だけ」の思考では新型コロナ感染症問題は解決しない。こうした行為は結局のところ社会全体を危機に陥れる。よく誤用される「情けは人のためならず」という諺があるが、この本来の意味は「情けは人のためならず、巡り巡って己(おの)がため」なのである。まさに「今だけ、金だけ、自分だけ」では社会が崩壊することになることをコロナ禍において再確認する必要がある。まさに「今だけ」ではなく「長期的」な視点で、「金だけ」ではなく「多面的」な視点で、そして「自分だけ」ではなく「多様な人びと」の視点が強く求められている。こうした視点をもたないと新型コロナ感染症にともなう多くの人権課題が解決できないだけではなく、企業活動やビジネスも前進しない。

近畿大学 人権問題研究所
主任教授 北口 末広

(2021/03/22)