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水平社創立100年の意義と企業の今日的課題(1) |人権情報

「解放令」発布の八年前に米国「奴隷解放宣言」

来年2022年3月3日に全国水平社(以下、全水と表記)は創立100年を迎える。100年前の水平社創立も150年前のいわゆる「解放令」発布も国際情勢と密接に関わっている。「解放令」と呼称されている「太政官布告」が1871年に発布される8年前の1863年にアメリカ合衆国では、「奴隷解放宣言」がなされた。「奴隷解放の父」と呼ばれるリンカーンの南北戦争激戦地ゲティスバーグの「人民の、人民による、人民のための政治」という有名な演説も同年である。
しかし彼が南北戦争について語った内容からは「奴隷解放宣言」とは異なった側面も明らかになっている。その内容は「この戦争における自分の至上目的は、連邦を救うことであって、奴隷を救うことでも、あるいは滅ぼすことでもない。奴隷を一人も自由にせずに連邦を救うことができるなら、そうするだろうし、また、もしすべての奴隷を自由にすることによって連邦が救えるというなら、そうするだろう」というものである。南北の対立のなかで大統領となったリンカーンにとっては、南北統一が主目的で奴隷解放はそれに付随した課題であったといえる。そのために奴隷は解放されたにもかかわらず、生活、教育等の手段は十分に保障されず、生活の基盤を奪われるようなこともあった。
それから約100年後の1964年に公民権法が成立するまで制度的にも黒人差別をはじめとする人種差別が存続した。現実的には今も厳しい人種差別が続いている。日本ではこの翌年1965年に内閣同和対策審議会答申が出ている。

近畿大学人権問題研究所 主任教授 北口 末広さん

当時の内外情勢と関連していた全国水平社創立

同じことが「解放令」についてもいえる。部落差別の撤廃が主目的ではなく、明治新政府の財政基盤をはじめとした社会基盤改革の一環として「太政官布告」が出された。言うまでもなくこれら「奴隷解放宣言」や「解放令」が出された背景に被差別側・被抑圧者側の差別撤廃要求が力強く存在していた。
しかしアメリカ合衆国と同じように部落差別撤廃のための生活や教育基盤の整備という積極的な政策はほとんど行なわれなかった。それがその後の厳しい部落差別の存続と、半世紀後の全水創立につながった。だからこそ水平社宣言で「此際我等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せんとする者の集團運動を起こせるは、寧ろ必然である」と謳われたのである。
この全水創立も当時の国際情勢と密接に関連している。紙幅の関係で詳細を述べることはできないが、当時の1914年から始まった第一次世界大戦、1917年のロシア革命、それに関連する1918年のシベリア「出兵」、その出兵と密接に関連する米騒動。この米騒動は当時の社会運動を急激に発展させ、組織的な社会運動として成長していった。こした動きが1922年の日本農民組合や全水の創立に結びつき、「婦人」参政権獲得にむけた女性解放運動などを前進させた。国際的にもロシア革命の2年後1919年には世界の労働者の労働基準と生活水準の改善をめざしてILO(国際労働機関)が設立された。その3年後に全水は創立した。
本稿では全水創立100年を迎えるにあたり、部落解放運動が日本社会の変革と人権確立のために果たしてきた役割と意義をふまえ、企業の今日的課題について考えていきたい。

これまでの部落解放運動の成果の一端

近年、IT(情報技術)革命の進化とともに情報の伝わり方が根本的に変化し、部落解放運動にも多大な影響を与えている。インターネットやAI(人工知能)があらゆる分野を劇的に変え、部落差別事件の在り方も激変させた。ネットを悪用して差別や差別扇動が日々拡散しており、部落解放運動に対する誤った情報が流布され続けている。こうした情報によって、部落解放運動が果たしてきた積極面が過小評価されている。
全水創立100年を前にこれまでの部落解放運動の成果と人権確立に果たした積極的役割の一端を再確認しておきたい。
部落解放運動がめざしてきた差別撤廃運動とその理念は、社会の隅々から部落差別をはじめとするあらゆる差別を撤廃することである。そうした運動の理念は、社会を構成するあらゆる分野が対象になった。具体的な差別事件への取り組みを推進する中で、行政機関をはじめ企業、宗教、教育、福祉、医療、メディアなどの組織に、反差別・人権の理念を浸透させるのに大きな役割を果たした。
1922年の創立以来、反差別・人権を掲げて当事者を中心に、戦前戦後を通じて100年もの長きに渡って差別撤廃運動を展開してきた大衆運動団体はほとんどない。その間に国内外に与えた積極的な影響は計り知れない。政治、経済、司法、行政、教育をはじめあらゆる分野に多大な影響を与えた。それらの影響は今日の社会システムに組み込まれ、人権確立に大きく貢献している。それも部落差別撤廃という分野だけではなく、多くの人権分野を対象に大きな足跡を残してきた。それらの成果は、多くの差別に苦しむ市民や、時代の人権水準を享受できない一般市民にも積極的な影響を与えた。

国際人権諸条約を批准する運動の先頭に

まず、部落解放運動の中で展開されてきた国際活動の分野では国内外に差別撤廃や人権確立の面で大きな成果を残した。
日本国内では、ほとんど知られていなかった国際人権規約の存在を紹介し、批准活動を中心的に展開したことによって、国内に国際人権規約の内容を普及させた。1979年の批准に結びつけた取り組みは、今日においてもあらゆる分野に重大な影響を与えている。国際人権規約の批准後は、国内法や行政機関等の政策において内外人平等が進むとともに、規約の諸条項が日本の人権政策に積極的な影響を与えた。その後の国際人権諸条約の批准運動は、女性差別撤廃条約や人種差別撤廃条約などの批准に結びつき、それが国内立法にもつながった。女性差別撤廃条約の批准がなければ「男女雇用機会均等法」やその後の幾多の改正もなく、企業の取り組みも大きく遅れたといえる。
また、国際的な活動は、反差別国際運動(IMADR)の1988年1月の設立として結実した。1993年には国際人権NGOとして承認された。国連欧州本部があるスイス・ジュネーブに事務所を置き、今も国連や国際社会で人権確立に向けて積極的な役割を担っている。とりわけ1995年にスタートした「人権教育のための国連10年」推進の中心的な役割を担い、人権教育の前進に大きく貢献した。こうした国際的な活動は日本国内の法制度をはじめとする社会システムに影響を与えただけではなく、他国の人権推進にも貢献した。部落解放運動の国際的な活動は、日々の生活上の人権確立と強固に結びついており、2015年に国連で採択されたSDGs(持続可能な開発目標)やESG(環境・社会・企業統治)などの取り組みにも結びついた。

近畿大学 人権問題研究所
主任教授 北口 末広

(次回に続く)

(2023/03/29)