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いま話題の「ブラック企業」、社会に可視化された「声なき労働者の叫び」 |人権情報

「いま話題の」と題するのも「なにをいまさら」と感じてしまうほど、「ブラック企業」という言葉を日常的に見聞きするようになりました。

「ブラック企業」は「いわゆる」という言葉とセットで用いられることがほとんどで、確固たる定義は未だありません。ただ、一般的な共通認識として、パワハラ、セクハラ、残業代未払い、長時間労働、退職強要、契約と異なる労働条件、過労自殺など、労働法や関連法令に抵触するか、もしくは抵触の可能性が高いグレーゾーンの条件での労働を従業員に強いる法人を指すとされています。

例えば、こんな事例があります。

A社では、2008 年6 月に正社員(当時26 歳)が、厚生労働省が定める過労死ライン(月80 時間の残業)をはるかに上回る月141 時間の残業を強いられ、わずか入社2 ヵ月で精神疾患と過労自殺に追い込まれた。連続7 日間の深夜労働、午後3 時から午前3 時半の閉店まで12 時間労働、閉店後も離れた社宅には始発電車を待っての帰宅であった。昨年2 月に労災認定されたあとも、同社は責任を認めることなく、遺族との面談も謝罪も拒否している。

「ブラック企業」という言葉が市民権を得るにつれ、具体的な企業を「ブラック企業」と名指しして批判する動きが、市民社会に広がっています。メディアは、企業の評判が落ちる、就職活動をする学生から敬遠されるなど、企業が「ブラック企業」とされることのリスクを強調しています。市民団体が年度ごとに個別企業を選定して「ブラック企業大賞」を表彰し、「ブラック企業」とされた企業の経営トップは「ブラック企業ではない」と抗弁する。「ブラック企業」という言葉は企業バッシングの道具として使われています。

ところで「ブラック企業」という言葉はそれだけのものなのでしょうか。
人権の視点から「ブラック企業」という言葉を振り返った場合、「声なき労働者の叫び」を日本社会全体に可視化した、その本来の意義を強調せずにはいられません。

話は少し変わりますが、NHKクローズアップ現代で「”助けて”と言えない~いま30代になにが~」という番組が組まれたのは2009年のことです。便箋にひと言「たすけて」という文字を残して自宅で孤独死(餓死)した男性はまだ30代でした。遺書となった短い手紙は親戚に宛てて書かれたものでしたが、なぜ男性はこの窮状を誰にも伝えることができなかったのでしょうか。NHK取材班は次のようにまとめています。

視聴者から寄せられた声を分析してみると、一つのことが明らかになった。それは、「何が悪いって、自分が悪い」という“自己責任”の名のもと、”助けて”と言えず孤立していく姿に、「他人事ではない」「明日は我が身」と共感する三十 代が数多く存在していたのだ。

*NHKクローズアップ現代取材班『助けてと言えない:孤立する三十代』文藝春秋(文春文庫)2013年,253頁より。

この「30代の危機」の番組は「ブラック企業」と直接結び付くものではありません。しかし根底に流れるものは共通です。すなわち、被害者である若者らが、苛酷な状況を強いられても「自分が悪い」「自分が甘い」「どうしようもない」としか考えられないこと、どんなに違法な労働条件であっても「会社が悪い」と考えていることはめったにないこと、まさに「自己責任のジレンマ」に陥っていることにあります。

このジレンマを打開するための一歩は、自らが「おかしい」と気づき、「助けて」と救済窓口にアクセスすること。批判的な評価も聞かれますが、「ブラック企業」という言葉が、労働者のなかでもさらに立場の弱い若年労働者に「ブラックなのは企業なのだ」という気づきをもたらし、その「声なき叫び」を具体的な行動へとつなげるエンパワメントをもたらした点は大いに賛同できると思います。

ちなみに、「そんな状況ならやめればいいじゃないか…」というコメントがしばしば聞かれます。若年労働者における非正規率が高まり、正社員との賃金格差が懸念されています。正社員になりたい、正社員であり続けたいという、ジレンマの背景にある「やめられない実情」にも目を向けなければなりません。

エンパワメントの次は、「声なき労働者」の救済の受け皿です。労働者支援のNGO/NPOの登場に加え、今年(2013年)7月には「ブラック企業被害対策弁護団」が結成されました。そして、厚生労働省も対策に乗り出し、9月を「過重労働重点監督月間」とし、若者の「使い捨て」が疑われる法人に監督指導などを実施するとともに、9月1日には1日無料電話相談を行い、9月2日以後も既存の窓口を通じて相談を受け付けています。

「ブラック企業」という言葉の広がりが「声なき労働者の叫び」に対する救済の広がりとなっているか、人権の視点からの冷静な問題提起をし続けていかなければなりません。

菅原絵美(大阪大学大学院特任研究員)

(2013/10/17)