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人権デューディリジェンスを盛り込んだ「国連ビジネスと人権に関する指導原則」(以下、指導原則)が登場してから5年が経とうとしています。指導原則は、国連で初めて作られた企業向けの人権原則であり、企業は世界のどこで事業を展開していても、国際的に認められた人権基準を尊重することが求められています。そこで2016年度は、「アジアの現場から『ビジネスと人権』を考える」のタイトルのもと、アジアの国・地域を取り上げ、その国・地域での「ビジネスと人権」の課題は何か、またその課題に対し企業はどのように取り組んだらいいのかについて、事例を紹介していきます。第1回目はベトナムを取り上げます。
外務省領事局政策課が発表している「海外在留邦人数調査統計」(2016年度版)によると、2015年10月1日現在、ベトナム進出の日系企業数は、前年と比べて8.7%増加しており、世界の国・地域のなかでもベトナムは7番目に日本企業の拠点が多い国・地域となっています。日本企業の進出を過去5年間の推移でとらえてみると、毎年8~12%(2011年10.2%、2012年12.0%、2013年8.1%、2014年10.9%、2015年8.7%)の増加であり、シンガポール、ミャンマー、インドに続いて日本企業が注目している国・地域であることがわかります。
ベトナムにおける「ビジネスと人権」の課題として注目したいのが「労働者の結社の自由」です。ちなみに、ベトナムに限らず、労働者の結社の自由の保障は、世界的な課題であり、国際労働組合総連合(ITUC)が毎年発行している「グローバル・ライツ・インデックス2016」(注1)によると、結社の自由を実際に何らかの形で制限する国は昨年から9ヵ国増え、141ヵ国中50ヵ国に増加しています。なおこのインデックスでは、結社の自由に加え、団体交渉権、ストライキ権などの労働者の権利全体からその国の侵害度を「1」(侵害度低)から「5+」(侵害度高)の6段階で示しており、アジア太平洋地域の平均は「4」と評価されています。
ベトナムは社会主義国でありながら、1994年労働法に始まり、労働組合を結成する権利を承認してきました。ただ、労働組合を結成する権利の行使は、ベトナム労働総同盟(VGCL)にしか認められていません。VGCLは、唯一認められた労働組合組織であり、したがって、結社の自由はもちろん、団体交渉権、ストライキ権などの重要な労働権はVGCLのみが行使できることになります。企業別の労働組合を結成することはできますがVGCLの傘下になります。労働組合は、使用者とは独立して、労働者の声を代表することに役割はありますが、ベトナムでは本来の役割の実現が極めて難しい状況にあります。ここに指導原則が求める国際的な人権基準とのギャップがあります。
一方で、ベトナムに対する国際的なプレッシャーも強まっています。ベトナムはEUとの自由貿易協定、さらに環太平洋パートナシップ(TPP)協定の交渉のなかにあります。これらの協定には、経済発展とともに国際労働機関(ILO)の定める労働基準、具体的には、結社の自由および団体交渉権の実効的な承認、強制労働の禁止、児童労働の禁止、雇用と職業における差別の禁止を国内で実現することを求める項目が含まれています。
このような背景もあり、2012年労働法は職場における社会的対話および労使間の定期会合を規定し、雇用者に対し労働者代表との定期的対話を設けることが義務化され、2013年には国際的な人権基準を反映した憲法改正も行われました。しかし依然として、VGCLを中心に置いた結社の自由の保障という基本的な構造は維持されたままとなっています。ちなみに、先ほど紹介した「グローバル・ライツ・インデックス2016」において、ベトナムは「権利の保障がない国」として「5」の評価を受けています。
さて、このように法制度上の制約があるなかで、ベトナムで事業を展開する企業は、指導原則の実現として、国際人権基準とのギャップにどのように取り組めばいいのでしょうか。その参考になるのが、2016年7月にOXFAM(1942年にイギリスで設立された団体で、現在は世界18ヵ国・地域に拠点を置き、貧困問題の解決を目指し活動している国際人権NGO)が発表した報告書『ベトナムにおける労働権:ユニリーバの前進と組織的課題』(注2)です。
この報告書は、OXFAMによる2011年調査(注3)のフォローアップ報告書であり、この時の調査で特に課題とされたもののひとつが、労働者の結社の自由でした。ユニリーバのグループ方針では、すべての企業で労働者の結社の自由を認めることが定められていたにも関わらす、ベトナムでは、労働組合の代表を選出する際、そもそも労働組合幹部による先導のなかで立候補がなされるため、労働者は選挙権を有しているものの、候補者が立つ時点ですでに労働者代表としての性格が極めて弱まってしまっていました。またそんな労働組合に対し労働者が信頼を寄せることは難しく、信用度は低い状態でした。加えて、労働者の声を反映する仕組みについては、制度上、労働者は人事部に直接に面談することができることになっていましたが、実際のところ、労働者はこの仕組みを認識しておらず、また知っていても制度を使うことがためらわれる状態でした。
これに対し、2016年報告書では、確かに未だ課題はあるものの、国際的な人権基準とのギャップを克服するために、取り組むユニリーバの努力を見ることができます。例えば、ユニリーバの労働組合は、もちろんVGCLの傘下に置かれていますが、2015年1月から選挙方針を変更し、自己推薦による立候補も認められるようになり、実際に自己推薦による立候補者が選出されています。一方で、その数はまだ少数であり、労働者の声を代表するに至るにはまだまだ時間を要しそうです。また、苦情処理の仕組みをより実効的なものにすることで、労働者と経営側との信頼関係が向上してきたことが指摘されています。労働者にとって、より利用しやすく、今後の改善が期待でき、そして透明性がある仕組みを作るため、直接面談して相談する仕組みのほか、投書型やEメール、電話相談の仕組みを社内または社外に設けました。2013年からは労働者と経営側が月に一度話し合う機会が設けられ、お茶を囲みながらの会にするなど、その雰囲気づくりも工夫されています。
労働者の結社の自由に関して、ベトナムでは国内法制度上でどのような制約があるか、そして国際的な人権基準とのギャップを埋めるためのユニリーバがどのように取り組んでいるのかを紹介してきました。労働組合の労働者の代表としての性格をいかに確保するか、また労働者と経営側の対話の場をいかに確保するかというユニリーバの取り組みは、まだ現在進行形の取り組みではありますが、「出来る限りぎりぎりまで尊重」することを求める指導原則のアジアにおける実践として、とても参考になる事例です。
菅原絵美(大阪経済法科大学国際学部准教授)
(2016/12/22)