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彦根訓盲院跡(ひこねくんもういんあと) |滋賀人権スポット

所在地 彦根市京町2丁目9-47(JR彦根駅から約1km)

彦根訓盲院跡の碑

障がいを克服して滋賀で盲教育をはじめた山本清一郎

旧甲賀郡生まれの山本清一郎は、17歳の時に網膜剥離で失明し、生きる望みを失ってしまいました。しかし、明治32年に京都市立盲唖院に入学すると、人が変わったように勉学に励み教師になりました。ある日、院長から滋賀に目の不自由な子供たちのための学校の設立をすすめられ、彦根訓盲院の設立に尽力しました。昭和23年(1948年)に退職するまで、その生涯を目の不自由な人の教育と福祉のために捧げました。

「自分と同じ視覚障がいを持つ子どもたちのために学校をつくりたい」という山本清一郎の熱意に心打たれた人々がお金を出し合い、明治41年(1908)、「彦根訓盲院」が誕生しました。近畿で四番目の盲学校です。 校舎は民家で、机や椅子・黒板などは城東小学校から借り、教員は地元の医師や鍼灸師らが奉仕で引き受けました。しかし学校経営は苦しく、食べ物も買えないほど貧しい生活の連続だった山本院長は、昼間は子どもたちに勉強を教え、夜は遅くまで夫婦で近郷近在の家々を回り、寄付を募りました。 こうした多くの人たちの甲斐あって、大正13年に小中学校の建物を譲り受けて新校舎が完成し、「彦根盲学校」と改称されました。昭和3年(1928)には県立盲学校となり、普通科、鍼灸按科、按摩科の三科が設置され、現在に至ります。昭和12年(1937)には、ヘレン・ケラー女史が来校されました。

 

(2013/06/03)