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『冲原神社』と『掩体壕跡』(「おきはらじんじゃ」と「えんたいごうあと」 |滋賀人権スポット

交通機関 東近江市東沖野3丁目11-1(近江鉄道八日市駅から車で約5分

掩体壕跡

 

多くの飛行機士が飛び立った飛行場の後

大正3年(1914年)、今の八日市南高校付近に日本初の民間飛行場が開設されました。 その後、軍の航空部隊を誘致する計画が持ち上がり、大正11年(1922年)、陸軍八日市飛行場となり、航空機の発達とともに規模が拡大されて行きました。しかし、当時の飛行機は故障が多く、飛行士の無事と飛行の安全を守る冲原神社が敷地内に建立されました。戦時中、この神社には出撃前の兵士たちが参拝に訪れたと言います。  戦争末期には、八日市飛行場も米軍の爆撃を受けるようになり、航空機を敵の爆撃から守る格納庫「掩体壕」が築かれました。  当時の飛行場正門は冲原神社に移築されているほか、飛行場の滑走路だったところは、今では神社前の道路となっています。神社の拝殿には、戦闘機が大空を飛ぶ姿や海上で戦艦と戦う様子を描いた絵馬が、遺族会から奉納され飾られています。

冲原神社

住民たちの手で復興した「冲原神社」

大正14年(1925年)に建てられ、多くの兵士が手を合わせた冲原神社も、戦後はお参りする人影もなくなり、本殿も拝殿も姿を消して荒廃していきました。しかし、昭和34年(1959年)の町制誕生を契機に、中嶋高名宮司らを中心に、沖野町の住民たちの手によって復興しました。境内には戦没者の慰霊碑があり、戦争の悲惨さを今に伝えています。

 

 

(2013/06/03)