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葛野大堰(かどのおおい) |京都人権スポット

「交通機関」 京福嵐山線「嵐山」駅下車、すぐ

葛野大堰(かどのおおい)

京都嵐山を流れている「大堰川(おおいがわ)」は、丹波山地の大悲山付近に源を発する川ですが、嵐山の付近では「大堰川」と呼ばれています。途中でよく名前の変わる川です。水源から亀岡盆地あたりまでは「桂川」、亀岡と京都の間の峡谷は「保津川(ほづがわ)」、渡月橋付近で「大堰川」、そして渡月橋より下流は再び「桂川」と呼ばれています。古くは葛野川と呼ばれていました。大堰川と呼ばれるのは、5世紀後半に、朝鮮半島東部の新羅系渡来氏族である秦氏が葛野地方に移り住み、この付近で桂川の流れをせき止める大きな堰を築いたためです。

秦氏が築いた葛野大堰の原型はすでに失われていますが、今も渡月橋上流の川底には当時の段差があるといいます。桂川の欄干にもたれて、堰の様子を眺めていますと、堰作りに励む秦の氏人の姿が彷彿として浮かび上がってくるようです。彼らが築いたのは堰だけではなく、松尾大社に近い松室遺跡では、約60m幅の川のような大溝が発掘されています。葛野大堰に関連した放水路のような施設だったと推測されています。桂川の右岸はこうした水路を引いて田畑の開拓が大々的に行われました。

ここがポイント!

右京区の太秦(うずまさ)の地名は、秦氏の本拠があったことに由来しているともいわれ、広隆寺や蚕の社(かいこのやしろ)など、ゆかりの史跡が数多く残っています。 また、嵐山の松尾大社、伏見区の伏見稲荷も秦氏によって祭祀された神社です。

(2013/12/02)