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カラーユニバーサルデザインについて |カラーユニバーサルデザイン

「情報」を正しく伝えるために

伊賀公一(いがこういち)さんのプロフィール
視覚情報デザインコンサルタント
1955年生まれ 徳島県出身
強度の色弱者で一級カラーコーディネイター(商品色彩)
早稲田大学在学中にITの輝く未来に目覚め中退。
DTP講座講師、ITベンチャー役員、コンサルタントなどを経てNPO法人・カラーユニバーサルデザイン機構(CUDO)の設立に参画。
CUDO副理事長・専属テクニカルアドバイザーとして講演・セミナー、コンサルタント、外部講師などを引き受けている。
●著 書
「カラーユニバーサルデザイン」(ハート出版 2009年)
「色弱が世界を変える」(太田出版 近刊)

2011年2月15日、広報委員会主催による講演会をエルおおさかにて開催致しました。講師は、視覚情報デザインコンサルタントの伊賀公一先生です。
当日は、色弱者の方の視覚世界を実際に体感していただく器具体験も実施いただき、有意義な機会を頂戴することができました。ここでは、先生の講演を要約してご紹介致します。
「カラーユニバーサルデザイン」についての詳しいお問い合わせ、会員企業からの伊賀先生への講演のご依頼などはNPO法人カラーユニバーサルデザイン機構(略称CUDO)までお願い致します。

●ホームページ http://www.cudo.jp

「色弱者は語らない」

 皆さんこんにちは。伊賀公一です。
 「カラーユニバーサルデザイン」という言葉をご存じの方、この中に何人いらっしゃいますでしょう? お一人ですね。はい、ありがとうございます。では「色弱」という言葉はいかがでしょう? 全員の皆さんがご存じですね。
 「カラーユニバーサルデザイン」という言葉は比較的新しい概念です。実は、世の中にはまだあまり知られていないという面があります。
 私は多くの人びとと色の感じ方が異なっています。生まれつきのもので、この色の感覚、すなわち色覚はかつては「赤色盲」などと呼ばれていました。色が見えないというわけではありません。特定の色の見分けが苦手だったり、逆に多くの人より敏感であったりします。「赤色盲・色弱」は、学校の身体検査の時に色の付いた点々の「石原式色覚検査表」を用いて行われました。(2002年以降、学校において一斉検査は実施されていない)
 例えば、1961年に作られた「色覚検査表」ですが、この本にはこんな記述があります。※就いて差し支えない職業の例として「寺男、競馬の予想師、玄関番、巫女、相撲の呼び出し、ダフ屋、置き屋の主人」などです。
 作られたのは1961年ですが、版を重ねていて2006年版はこの表示のままで発売されています。
 私は、今55歳ですが「就きたい職業には就けないよ」と強く言われました。私の頃には理科系にさえ進ませてもらえなかったのです。
 だから、今でもこの「検査表」をみると「身の毛がよだつ」という方がいます。
 進学も就職も思うにままならない。結婚にも差し支えるとなると、色弱であるということなど人に言っても何の得にもなりません。だから黙って生きてきたという方も多いのです。今でもなるべく色の話題を避けるという人も少なくありません。
 その結果、どうなるかといえば「色弱」の人は、世の中に「いない」ことになっていくのです。自分が「色弱」だと言えなくなるのですね。また、ある色がどうしてそう見えるのかも説明できないのに「その色は何色に見えるのか?」などと奇異の目で聞かれたりするのです。日本人男性で私と同様な先天的な「色弱者」の割合は約20人に一人です。女性では500人に一人。日本全体では約320万人が存在すると言われています。
 数の大小云々ではありませんが、この数字は決して無視できない数字だと思います。
 どんなことで困ったか。今日はお話ししましよう。
 「黄緑色の猫がいると思っていたので、そんな絵を描くとみんなにギョッとされる」「緑と茶色が同じように見えるので、葉の色を茶色、幹を緑と間違って描いた」「銀行の呼び出し機器の番号が見えずにオロオロする(黒の背景に赤色は見えにくい)」「トイレの男性と女性の表示を間違って、女性用に入ってしまう。後から女性の声がトイレに響くともう出られない(警察のお世話にもなりました)」「色分けでしか区別できない電車を乗り間違える」「靴下やネクタイの色を間違える」
 日常的に、実は些細なことから大変なことまで色々と間違ったりもするのですが、本当に怖いのは緊急時なんです。慌てたときに間違う頻度は高まります。非常時とか避難の際とか、そういうことです。
「色弱」の治療はできないのか、という点ですが、元々正常なものがあり、異常なものを正常に戻すのが治療です。そう考えると、先天性の「色弱」は人類の多様性の問題と捉えるべきだと思います。
 北欧の男性で10%、同じく日本人では5%、世界中には2億人の色弱者が存在します。私たちは「弱視」と勘違いされることもあるのですが、視力は一般の方と同じです。要は、色の「感覚」だけが異なるんですね。
 例えば、後天性の病気によって「色の見え方」が変わるということもあるのですが、「色弱」はそれとは違う先天的なものです。
 私たちは「色弱」の方々のことを考えたデザインのあり方を行政や企業に提案してきましたが、実はそれだけではないのです。当然弱視の方や高齢者の方についても頭に入れて考えなければいけません。
 ユニバーサルデザインというものは、ひとつのものを、みんなで使う、みんなを大切にしたデザインをしよう、ということなんです。

  ※このような記述は誤った社会の根元、人権侵害ともいえるものです。事実としてそのまま記しました。

「呼称」の問題

 こういう例をご紹介しましょう
お孫さんができて、初めて「色弱」をカミングアウトされた方がいました。デジタルカメラを充電する際に、そのランプの色の変化がわからなかったんです。
 充電中はランプが点滅、充電が終わったら消えます、ということだったら誰にでもわかります。そんなアドバイスをさせていただきました。当時はJIS規格にデジタルカメラが入っていなかったのです。
 観光施設の中にも、「色の区別能力に頼る方法」で案内地図や表示などを使っている例が多いのですが、「色に頼れ」と言われてもわからないということが私たちにはあります。
 講演用のレーザーポインターもそうです。これが赤色ですと私はよく見えません。今日は緑色に発光するポインターを使っています。
 「呼称の問題」というのもあります。盲という字が入っているのは絶対に嫌だという方がいます。「色覚異常」というのは眼科が使う言葉です。先に述べましたように人類の多様性について「異常」よばわりは何事かと思いませんか?
 「色覚障がい」というのは行政用語ですが、実は私たちは「障がい者手帳」は貰えません。それは「社会の側に問題があって、色弱者には問題がないから」ということだと私は思っています。
 このように言葉遣いにはさまざまな経緯があるわけですが、私たちの提唱する「色弱者」という言葉は、比較的受け入れられやすいようです。
 実際にアンケートをとってみますと「色覚異常・色盲」の差別感が最も強く、当事者もそうでない方も使いたくないという意見が多い。次に「色覚障がい」があって、「色弱」という言葉も適切であるとは言えないが、忌避感については強くないというものでした。当団体ではさらに進めて、すべての色覚の特徴に合わせてC.P.D.T.A型色覚と呼んでいます。

「カラーユニバーサルデザイン」とは

 90年代になって視覚情報デザインにおける「色分け」が爆発的に増えたという印象があります。教科書も2002年くらいまでは低学年をのぞいて白黒でしたが、現在では全教科がカラーになっています。
 私は83年まで東京に住んでいて、一度徳島に戻り、96年に東京に出てきましたら何もかにも色分けされるようになっていました。一般的な社会としてはそのことでわかりやすく便利になったということなのですが、そのことで逆に困る人はいないでしょうか。もし、皆さんが「ものづくり」をされる立場であれば、そのような心配をされたことはないでしょうか。その点が、コミュニケーションでは重要だと思います。
 例えば、以前の東京の地下鉄の路線。色だけでは、私の場合その色遣いをきちんと見分けることができませんでした。前にもお話ししましたが、慌てているときや急いでいる時によく乗り間違えてしまうのです。これは、自分にも責任があるわけですが、当時の地下鉄路線図は「色だけで路線を見分けるデザイン」でした。現在では、地下鉄の路線図だけでなく、JRの発車案内表示なども少しずつ見分けやすいデザインになっています。
 誤解されると困るのですが、私たちは「色を使うな」と言っているのではありません。分かり易い情報デザインをして欲しいとお願いしているのです。特定の色同士は同じ色に見えるので、他の色遣いを検討して欲しいということだったり、色が全く分からない方にもなるべく分かるように文字やその他の情報を補完してください。ということなんですね。
 地下鉄であれば、丸い色の表示で示しているから分かるだろうというのではなく、丸の中央に路線の頭文字を示してくれると「わかりやすい」のです。
 色覚の違いによる「情報の伝達バリアー」があるということは、一般の方々にはまだまだわかりにくいという面があります。
 市場原理の流れの中で「その色遣いストップ」と言う人の声は、なかなか届かなかったんですね。

「伝える」ということ

 2001年頃から、具体的にどのようなデザインが見分けにくいのか、そのデザインをどう変えれば見分けやすくなるのかを研究し、相談を依頼される企業、自治体などに対して、科学的で実用的な助言を行ってきました。私的なクループではなく組織としての更なる発展をはかる必要性から、2004年10月8日にNPO法人CUDOを設立しました。
 2008年にはグッドデザイン賞を頂戴しましたが、これは日本が世界に対して先駆けて開発した新規なデザイン活動に対してのものでした。昨年の暮れにはバリアフリー/ユニバーサルデザイン功労者表彰で、内閣総理大臣賞を受賞することもできました。今後は、特にデザイン学校や美術大学の若い方々にもこのような活動の存在を知っていただけるように活動の輪を広げていきたいと思っています。
 グラフィックデザイナー・プロダクトデザイナーが、当然のように色弱者に配慮し、学校や職場、地域などにおいて、色弱者のみならず誰にとっても困ることがないように、共生できる社会が到来することを願っています。

ご静聴、ありがとうございました。

(2012/11/28)