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西光万吉邸 |人権施設情報

住   所 和歌山県紀の川市西井阪
電話番号 西光万吉顕彰会事務所 0736-77-7880
開館時間 午前10時から午後4時
入館料 見学料は無料(要予約)
交通機関 JR和歌山線「下井阪」駅から徒歩30分、和歌山バス「西井坂」停留所から徒歩5分

日本で最初の人権宣言と言われる「全国水平社宣言」を起草したことで知られる西光万吉の遺品や絵画作品などを保存する資料館が、2016(平成28)年6月26日に和歌山県紀の川市西井阪にオープンしました。

あまり詳しくは知られていませんが、奈良を拠点として活動を行ってきた西光万吉は、1941(昭和16)年12月8日(当時46歳)奇しくも太平洋戦争開戦の日に、妻・美寿子さんの故郷である和歌山の実家に移り住み、1970(昭和45)年3月に74歳で亡くなるまでの28年間をこの地で過ごし、生涯を終えました。

その後、妻・美寿子さんが2007(平成19)年に亡くなるまで暮らしていた住居を、地元の一般社団法人・西光万吉顕彰会が中心となり修復したうえで資料館として公開し、西光万吉の人間尊重・平和主義の行動を未来に伝えるための活動を行っています。

西光万吉は時の情勢から挙国一致のため戦争への協力を余儀なくされたのはやむをえなかったこととはいえ、戦争に加担した責任からピストル自殺をはかりましたが、未遂に終わりました。その後は目を覚ましたかのように世界に目を向け、あらゆる人の生命の尊重と非暴力主義を掲げ、この地を拠点として、再び東奔西走しました。この資料館では、こうした西光万吉の強い決意を感じとることができます。

また、邸宅の室内には、晩年に写されたと思われる1枚の大きな写真が貼られており、組んだ手の上に顎をのせて静かに何かを見つめる姿は見る者にとっては今にも語りかけてきそうな感じがします。

晩年の西光万吉の写真と水平社宣言文
その下は、西光万吉が愛用していた帽子

ここがポイント!

西光万吉の生涯を年表や映像でふり返るとともに、本人が着用した衣服や帽子のほか、戦後「和栄政策運動」に専念する日々の中で描いたとされる絵画や、小説・曲などの見学ができます。 とりわけ、西光万吉の画家としての才能にはおどろかされます。 また、人権問題や人間の尊厳について学ぶ現地研修としてもおすすめです。

(2017/06/06)