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ホームページ | http://www6.ocn.ne.jp/~tanbamn/ |
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郵便番号 | 601-0533 |
住 所 | 京都市右京区京北下中町東大谷32番地 |
電話番号 | TEL. 075-584-0046 FAX. 075-584-0234 |
開館時間 | 午前10時~午後5時(入館は4時30分迄) |
休館日 | 水曜日(祝日・振替休日の場合はその翌日) 冬期休館(12月15日~3月15日) |
入館料 | 大人1,200円、(学生)中学生・小学生800円、小学校未満無料 ・30名以上団体は各100円引き |
交通機関 | ①JR京都駅からJRバス高雄・京北線で周山駅下車(約1時間20分)、町営バスで上川線・上笹々江線に乗り換え下中駅下車(20分)、徒歩2{}分 ②JR京都駅から周山駅下車町営バスでゼミナールハウス行き(午前10時発)で下中駅下車 ③JR京都駅からJRバスで周山駅下車、町営バスで鳥谷・ゼミナールハウス行き(午前11時20分発)で下中駅下車 |
丹波マンガン記念館からの提供
? 丹波マンガン記念館は、1989年5月にオープンした。京都市内より、162号線を27キロ北上した京都市右京区京北というところにある。当記念館は、鉱山道具やマンガンコレクション500点の資料館と、昔に採掘されたマンガン鉱山の坑道を見て歩く散策道の展示施設からなっている。
? なぜマンガンが採掘されたかというと、マンガンが鉄に混ぜると鉄を強くする特性を持っていることが原因といえる。
昔、鉄は、砂浜や河床にある砂鉄やはんれい(斑棋)岩から取り、たたら製鉄によって鉄を作っていた。砂鉄の中には、はじめからマンガンやチタンが含まれていたので、日本刀や火縄銃は、原料となる砂鉄を溶解するだけで作れたが、明治以降、近代化により鉄の需要が飛躍的に伸び、そのため砂浜の砂鉄では、とうてい足りなくなり、鉄鉱石が採掘されはじめた。
しかし、鉄鉱石は、ほとんどの場合、マンガンが含まれておらず、別の鉱山でマンガンを掘って入れなくては硬い鉄が作れないことがわかった。日本国内では、東北の三陸地方や四国の宇和島、そしてここ丹波にたくさんのマンガン鉱があり、なかでも丹波盆地にもっとも多くのマンガンがあることがわかった。丹波マンガン記念館の周辺では約300の鉱山が採掘された。
? 第二次大戦中、そのマンガンを採掘したのは、強制連行や募集連行、そして日本の土地調査会社によって土地を取り上げられた韓国・朝鮮人や、被差別部落の人々であった。
マンガン鉱山で働く労働者は、マンガンの母岩であるチャートを発破したときに出る粉塵にさらされ、粉塵を吸い込むことにより、ほとんどが塵肺という病気に冒された。
当記念館の初代館長・李貞鎬は、丹波マンガンの歴史を後世に残そうと3年がかりで私財を投入して、この記念館を建設したが、長年の鉱山労働による塵肺のために、1995年に帰らぬ人になった。
? 「われわれ在日朝鮮人の歴史を残す」と丹波マンガン記念館を作ったが、現在、強制連行の専門館は日本には一つもないのが現状である。当記念館は、太平洋戦争の加害の歴史を問い直し、おたがいの歴史を知り、アジアの人々と真の平和と友好を構築するための博物館として、また丹波マンガンの生成、マンガンの利用・開発の歴史にかかわる資料を収集・展示するとともに、かつての坑内の作業を再現することによって、丹波マンガンの全体像を伝えようとしている。
(2013/05/20)