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ホームページ | http://housyuuan.sakura.ne.jp/ |
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郵便番号 | 529-0222 |
住 所 | 滋賀県長浜市高月町雨森1166 |
電話番号 | TEL:0749-85-5095 FAX:0749-85-5095 |
開館時間 | 午前9:00~午後4:00 |
休館日 | 毎週月曜日 国民祝日の翌日 12月29日~翌年1月4日 |
入館料 | (高校生以上)300円 (小・中学生)150円 (幼児)無料 団体20名以上(高校生以上)240円 (小・中学生)120円 (幼児)無料 |
交通機関 | JR北陸本線「高月駅」下車 徒歩 40 分 車: 木之本インターから10分 |
駐車場 | 大型バス5台 |
東アジア交流ハウス雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)庵は、1984(昭和59)年に、滋賀県の「小さな世界都市づくりモデル事業」の指定を受け、芳洲の出身地に建設したものです。
ここは、芳洲の生涯をたどり、思想や業績を顕彰するとともに、東アジアとの交流と友好をめざす拠点です。
大きなケヤキのそびえる敷地からは、遠く己高山(こだかみ)に連なる山々がのぞまれます。
静かな佇まいの庵内には、芳洲の著書や遺品、芳洲が深く関わった朝鮮通信使の資料などを展示しています。
また、研修室では芳洲や朝鮮通信使についての講座、国際交流、人権学習、まちづくりなどの講話を聞くことができます。
芳洲庵は、これからも芳洲の「誠信の心」を内外に発信しながら、東アジアの平和と友好とふるさとづくりのために、多くの皆さんに活用いただくことを願っています。
雨森芳洲(1668~1755)は、江戸時代中期の儒学者で、朝鮮との外交に活躍した人です。
芳洲は、雨森村(現長浜市高月町雨森)の医者の家に生まれたといい、22歳の時、九州と朝鮮半島の中間に浮かぶ島・対馬藩(現長崎県)に仕えました。
その頃は鎖国の時代でしたが、隣国朝鮮とは「通信の国」として、徳川幕府は善隣友好の交わりを結んでいたのです。
その交流の窓口が対馬藩でした。
芳洲は、儒者として対馬藩に仕えましたが、31歳から外交の実務を担当する役職を命じられて、数々の業績をあげました。
当時の朝鮮外交は、「筆談外交」といわれる時代でしたが、芳洲は「ことばを知らで如何に善隣ぞや」と釜山に三年間留学して、朝鮮のことばを修得しました。
44歳と51歳の時には、朝鮮通信使の※真文役(しんぶんやく)として江戸往復の旅に随行して大活躍をしました。61歳の時、主君に上申した『交隣提醒(こうりんていせい)』の名著には、国際社会の現代にも通用する「誠信外交」の秘訣が述べられています。
また芳洲は、生涯学習の先駆者でもあります。晩年になっても向学の心は衰えることなく、一万首の和歌づくりを志し、『古今和歌集』一千遍詠みを二年かけて完了し、88歳の生涯を終わるまでに二万首の詠草を成し遂げました。
※ 真文役(しんぶんやく):外交文書を解読・起草する職務
(2015/04/06)