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賀川記念館 |人権施設情報

ホームページ http://core100.net/index.html
郵便番号 651-0076
住   所 神戸市中央区吾妻通5-2-20
電話番号 078-221-3627
開館時間 10時00分から17時00分(入館は16時30分まで)
休館日 月曜日(年末年始など臨時休館する場合があります)
入館料 一般300円、学生100円(団体など割引についてはお問い合わせください)
交通機関 JR・阪急・阪神・地下鉄三宮から徒歩15分
阪神春日野道から徒歩7分
阪神バス吾妻通4丁目下車西へ徒歩1分

 賀川記念館は、1909(明治42)年から1923(大正12)年までの14年間にわたる賀川豊彦とその仲間たちによる働きと志を引き継ぎ、コミュニティーセンターとして地域福祉に努め、平和を望み、共に生きる社会をつくることを目的に、2009(平成21)年、賀川豊彦の献身100年を記念して、イエス団をはじめとする多くの志あるものが集まり、次なる100年に向う献身を支える「場」として再建された施設です。

 賀川豊彦(1888~1960年)は、神戸市兵庫区に生まれ、生涯を社会的弱者と共に生き、闘い続けた人物で、「生協運動の父」と称されるほどの功績を残し、現在の社会にしっかりと継承されています。
 とくに「協同組合運動」「労働運動」「農民運動」「平和運動」など、「運動」と名がつくものすべての草分け的存在として、豊を公平に分配する(貧困対策)、そして平和につなげるというこだわりを強く持ち、「救貧」から「防貧」(社会体制改革)へと活躍の場をひろげていきました。

 また、1920(大正9)年には、自伝的小説『死線を越えて』を出版し、一大ベストセラーとなり、賀川の名を世間に広めることとなりました。しかし、手にした莫大な印税のほとんどを社会運動のために投じたため、質素な生活は変わることはありませんでした。

 さらに、戦後間もない1945(昭和20)年9月には、戦争の悲劇を繰り返さないために「国際平和協会」を設立し、世界の平和のために奔走し続けました。
 そして1940年代に
2年連続で日本人初のノーベル文学賞候補として推薦を受けるとともに、1950年代には3年連続でノーベル平和賞候補としても推薦を受けましたが、その後死亡したことにより受賞は実現しませんでした。

 このように賀川記念館では、賀川豊彦という人物が遺した足跡を辿ることができますので、ぜひとも一度は訪問をお勧めします。

(2016/12/19)