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1.“忙しい空”
今夜はお空がいそがしい 雲がどんどと駆けてゆく。
半かけお月さんとぶつかって、 それでも知らずに駆けてゆく。
子雲がうろうろ、邪魔っけだ、 あとから大雲、おっかける。
半かけお月さんも雲のなか、 すりぬけ、すりぬけ、駆けてゆく
今夜はお空がいそがしい、 ほんとに、ほんとに、忙しい。
雲が恐ろしいほどの速さで月を隠し、慌ただしくまたのぞかせる夜空を見上げた記憶は誰しもにあろう。
が、それを詩にしようとまず思い立たない。小さな雲を邪魔だといいたげに追いかける大きな雲、そんな夜空を「忙しい」と捉えるみすゞの観察眼は研ぎ澄まされている。
2.“おはじき”
空いっぱいのお星さま、 きれいな、きれいな、おはじきよ。
ぱらり、とおはじき、撒きました、 どれから、取ってゆきましょか。
あの星 はじいて こう当てて、 あれから あの星 こう取って。
取っても取ってもなくならぬ、 空のおはじき お星さま。
なんと可憐な少女の想像。この星空をおはじきの詩歌に仕上げよう、仕上がると思いつくみすゞの感覚の鋭さと洞察力の深さが、詩を確かなものにしている。 その詩想に感じ入るばかりだ。
3.“瀬戸の雨”
ふったり、やんだり、小ぬか雨 行ったり、来たり、渡し船
瀬戸で出逢った潮どうし、
「こんちはお悪いお天気で。」
「どちらへ」
「むこうの外海へ。」
「私はあちらよ さようなら。」
なかはくるくる渦を巻く。
行ったり、来たり、渡し船。
降ったり、止んだり、日が暮れる。
仙崎の街から瀬戸を挟んでは青海島。昔は渡しの船が行き交って、人や荷物を運んでいた。
出会った瀬戸の潮が何気ない挨拶を。みすゞの脳裏に浮かぶ、のんびりと柔らかな架空の情景が、まるで一枚の絵のように描かれている。
4.“わらい”
それはきれいな薔薇いろで、
芥子つぶよりかちいさくて、
こぼれて土に落ちたとき、
ぱっと花火がはじけるように、
おおきな花がひらくのよ。
もしも泪がこぼれるように、
こんな笑いがこぼれたら
どんなに、どんなに、きれいでしょう。
泪は先に流れている。が、笑みがこぼれれば、花火がはじけるように、おおきな花はひらく。
それはまるで自らへの戒めのよう。笑みを大事にしようとする娘心は何やら危うささえも感じさせる。心に小さなとげが刺さってちくりと痛んだように。
5.“木”
お花が散って 実が熟れて
その実が落ちて 葉が落ちて
それから芽が出て 花が咲く
そうして何べんまわったら
この木は御用がすむかしら。
たとえば桜の季節、多くの人びとが木々の生命の不思議さを感じ取るだろうし、輪廻などと難しい言葉を思い浮かべる人もいるだろう。 この詩には死の影が漂う。御用がすんだらこの木は世を去ってゆくと感得するみすゞの心情には痛々しささえ覚えようか。
◇金子みすゞの人となり
思いつくままにいくつか紹介したが、詩歌は難しい理屈など捏(こ)ねず、ただ接して、自分なりの、何かを感じられたら良いのだと思う。だからこれから先は、筆者の感想に過ぎないとご了解願いたい。
みすゞの詩歌の特性は、魅力は「透明さ」に尽きると思う。そして透明であることは、繊細な硝子細工に似た生命の儚さに行き当たる。
そこに、誰かが指摘するとおり、彼女自身さえ意識しなかったかもしれない死への密かな願望が透けて見える。
26年間という短い生涯に善良で、平衡感覚が豊かで、人間として、女性として何の欠点も見出せそうもない彼女だが、並みの眼と心であんな童話や詩歌が、生み出せるはずのないことは、誰にも了解されよう。
想像するのが困難なほどの高み、深さというか、まさに稀有な感性によってのみ可能な作業だったに違いないのだ。 残念なことにそれは、実生活を一女性として、月並みな幸せに生きるに、余りに重い足かせだったと思われてならない。
◇おわりに
文学に携わった女性といえば、林芙美子がみすゞと同い年だ。
幼児期から極貧の生活を強いられ、早熟に成長した芙美子の、這い上がろうとする強烈な願望と奔放な生活、生命力のかけらすらも、金子みすゞの周囲には見当たらない。
ふたりともに当時には珍しい高等女学校の卒業者、在学中から詩歌の世界の摸索者でありながら、人とはこうも異なるのかと思わざるを得ない。
上京し、童謡詩人として成功したいとかまではゆかずとも、とにかくみすゞの人生には私利とか私欲がまったく匂ってこない。
人中に丸裸で放り出されたように生きていった芙美子、温かく静かな部屋で、純粋培養器に育ったみすゞと比べたら言い過ぎの咎めを受けようか。
不幸な結婚が彼女を死へと向かわせたのだから、夫なる人を責めたくなるのは人情だ。
しかしややもすれば、ともに暮らす生身の夫婦、男と女には、少々の毒や針が双方に必要なのだろう。
文学や詩歌に遠く離れて生きる男だっていっぱい居る。
伴侶が、夢見るような世間離れした詩人だとしたら、砂をかんだ日々の生活に、夫はやりきれなかったかもしれない。
ともあれ、金子みすゞは心底、心根の優しい女性だった。
死の直前でも夫を、そして自分の運命も彼女は恨んだり、嘆いたりしなかったのではないか。
悲しいことだが、そうした金子みすゞを自殺に追い込んでいった資質のいくつかが、多くの珠玉の詩歌を、この世に残していってくれたのは確かなのだろう。
詩歌の出典
JULA出版局
「金子みすゞ全集」
(2013/06/17)