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「星の王子さま」を世に贈った サン=テグジュペリ その1 |わたしの歴史人物探訪

はじめに

今回は日本を飛び出し、知らぬ人なき長~いフルネーム、アントワーヌ=ジャン=バティスト=マリー=ロジェ・ド・サン=テグジュペリの生涯とその作品「人間の土地」「星の王子さま」を少し紹介しながら、彼が人びとに問いかけたものを探ってみよう。

その生涯

サン=テグジュペリは1900年、フランスのリヨンで貴族の家の長男に生まれ、早くに父を亡くしたが、まず恵まれた環境で成長した。
しかし14年後に第一次世界大戦が始まるのだから、欧州中が血みどろの戦乱に巻き込まれる時代を生きたのだった。
幼いころから絵をよく描き、文才に恵まれた彼は一方で発明間もない飛行機に乗る機会を得てから、空への憧れを強くしていった。
親族会議で決められた海軍兵学校の受験に失敗し美術学校へ通い、兵役に服すると飛行練習生に志願して予備少尉に任じられた。
大戦終結後、不要となった大量の軍用機払下げを受けたフランスの私企業を中心に、郵便の航空輸送業が急速に拡大していた。
サン=テグジュペリは25歳で商業機操縦の資格を取り、そこに職を得て終生空を駆け巡ることとなる。
フランス、トゥールーズからアフリカ、カサブランカ、ダカールへと飛行する彼はやがてモロッコ南部の飛行場長に任じられて遭難機搭乗員の危険な救助をいくつも成功させ、その職責を果たした。
この1年余り、孤独な砂漠の生活の中に生まれたのが、処女作「南方郵便機」だ。
不時着した砂漠で襲われ、惨死する操縦士の悲劇的な恋を描いた作品は構成がやや複雑、難渋であることから、あまり評価されていないか。
その後、社の欧州、アフリカ、南米を結ぶ空路開発計画によりブエノス・アイレスに赴任し、支配人として新たな航空路調査を急ぐかたわら、成したのが代表作の一つ「夜間飛行」だった。
後に香水の名ともなったこの小説は、そんな甘い雰囲気とは裏腹に、郵便機の夜間航行を冷徹に推し進める会社責任者を軸に描かれている。
恋に落ち、結婚したサン=テグジュペリはこの頃、最も幸せなひと時を過ごしたようだ。
が、3年後の1934年経営状況の悪化から内紛のおこった社を辞し、以後試験飛行や記事特派員、長距離飛行の記録挑戦者など職を転々としながら、九死に一生を得る遭難を何度か経験する。
こうした体験、見聞から随筆集「人間の土地」を発表して評判となり、作者としての地位を確立した。
1939年、第二次世界大戦勃発で招集を受けた彼は頑なに実戦を希望し、偵察飛行隊で活躍するが、フランス降伏で動員解除される。
帰国後「人間の土地」を翻訳、刊行した出版社の誘いで亡命、ニューヨークへと向かった。
そこで「子どもに向けた話」を書いてとの要請で生まれたのが「星の王子さま」だ。
が、出版された1943年連合軍、アルジェの原隊に復帰した彼は年齢制限があるにも関わらず、またしても飛行の任務を望んで苦しい訓練を重ね、やがてコルシカ島へ。
1944年7月、偵察に飛んだサン=テグジュペリが基地に戻ることはなかった。

作品を通して

まず「星の王子さま」の4年前に刊行され、彼の思想、信条を色濃くあらわしているといわれる「人間の土地」8編の挿話のいくつかを紹介し、その精神的背景を探ってみよう。
「僚友」ではアンデス山脈での7日間にわたる遭難から奇跡的に生還した輸送機操縦の先輩、ギヨメについて語る。
「彼の偉大さは、自分に責任を感ずるところにある。自分に対する、郵便物に対する、待っている僚友たちに対する責任、彼はその手中に彼らの歓喜も、彼らの悲嘆も握っていた。彼には、かしこ、生きている人間のあいだに新たに建設されつつあるものに対して責任があった。それを手伝うのが彼の義務だった。彼の職務の範囲内で、彼は多少とも人類の運命に責任があった」
そして「人間であるということはとりもなおさず責任をもつことだ。人間であるということは、自分には関係がないと思われるような不幸な出来事に対して忸怩(じくじ)たることだ。人間であるということは、自分の僚友が勝ち得た勝利を誇りとすることだ。人間であるということは自分の石をそこに据えながら、世界の建設に加担していると感じることだ」と語る。

星の王子さまミュージアムのエントランス

「飛行機と地球」は操縦士として、上空から地肌を、道を、数多くの休火山や溶岩流の痕跡を見下ろしてきた経験から書かれている。
「ぼくらは一個の遊星の上に住んでいる。ときどき飛行機のおかげで、その遊星がわれわれに本来の姿を見せてくれる」とすれば「なんとはかない舞台の上で、演じられていることだ、人間の喜怒哀楽の身振りが!まだほとぼりもさめきらぬ溶岩の上に、かりそめに住みついたかと思うと、早くも次回の噴火の砂に、雪の猛威に脅かされている人間が、あの永遠に対する憧れをどこから引き出してくるものなのか?彼らの文明にしても、脆弱な鍍金(めっき)でしかないではないか、火山が、新しい海が、砂嵐がそれを亡ぼしうるのであってみれば」。
不時着して朝を待つ、サンテ=テグジュペリが砂漠に横たわるうち「夢想は泉の水のように、音を立てずにぼくの所へやってきた」そして故国の実家に思いを寄せる。
家事を忙しくこなしているだけの年老いた家政婦の上に。
想像力の乏しい愚かな彼女の「貧しい運命を憐れんだものだった」彼は今「星と砂とのあいだに、裸で放り出されて、ぼくは彼女のほうが正しいのだとしみじみ思い知ったものだ」そして「家のありがたさは(中略)いつか知らないあいだに、ぼくらの心の中に、おびただしいやさしい気持ちを蓄積しておいてくれるがためだ。人の心の底に、泉の水のように夢を生み出してくれる、あのひとしれぬ魂を作ってくれるがためなのだ」。
もうひとつ「人間」では長い汽車旅行の途次、フランスを追われ、故国ポーランドへ移送される、多くの疲れ切った労働者家族に遭遇する。
そこで両親に挟まれて眠りこける少年の端正な顔立ちに驚く。
「この鈍重な二人の者から、美と魅力のこの傑作が、生まれ出たのだった。(中略)これこそ音楽家の顔だ、これこそ少年モーツァルトだ、これこそ見事な生命の約束だと」そして「ぼくがいま悩んでいるのは、スープを施しても治すことのできないある何ものかだ。ぼくを悩ますのは、その凸でも、凹でも、醜さでもない。言おうなら、それは、これらの人びとの各自の中にある虐殺されたモーツァルトだ」「精神の風が、粘土の上を吹いてこそ、はじめて人間は創られる」と結んでいる。
さて、こう少々を紹介してもなかなか難解だ。
引用した新潮文庫版の翻訳者、堀口大學は後書きで「一見ばらばらなように見えるこれら8編のエピソードは〈人間本質の探究〉という深いつながりで緊密に結びつけられている。生命の犠牲に意義あらしめようとする、人道的ヒロイズムの探究、これがこの書の根本想念をなしている」と解説している。

サン=テグジュペリの挿絵をもとにした「星の王子さま」

南仏プロヴァンス風の「飛行士通り」

(2014/09/01)