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今から70年以上前のアジア・太平洋戦争の時代、大阪市西成区の釜ヶ崎には各地から日雇い仕事を求めて人びとがたくさん集まっていました。
工場労働などによってわずかな賃金を稼ぐよりも日に日に高騰する日給の方がはるかに勤労意欲をかき立てるものだったからです。
動員という半ば強制であった軍需工場などでの勤労奉仕もそこそこにサボタージュして(あるいは二足のワラジを履いて)、破格の高値に多くの労働者が飛びついたのでした。
1910年代から徐々に簡易宿(宿泊料が日払いのできる労働者向け安宿)が建ちはじめて街区が形成されてきた釜ヶ崎にあった60数軒の宿は、連日満員盛況であったと伝えられています。
数千人規模の日雇い労働者(ほとんどは男性で単身)が跳ね上がる日給を手にしては釜ヶ崎に無事帰り着き、1日の癒やしを求めて酒と肴に舌鼓を打ち、安宿に身を横たえるのですから、日雇い労働者のまちは、人びとの活気あるエネルギーが満ち、沸き立っていたのです。
(2015/04/06)