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(2)「プロミン獲得闘争」 |ハンセン病回復者の闘い

ハンセン病療養所内には、入所者による自治会がつくられていましたが、戦時中には療養所内の締め付けもきびしくなり、自治会活動もそれほど活発ではありませんでした。

しかし、戦後、各園で自治会が再建されると、園内の生活や医療環境の改善を求める交渉が始まりました。
次第に、こうした動きは園の垣根を越え、互いに連絡を取り合い、協力をするようになっていきます。

そのころ、アメリカで開発されたプロミンという薬がハンセン病の治療に大きな効果があることがわかりました。
しかし、この薬を使用するには費用を自分で負担しなければならず、また非常に高価だったため、すべての人がプロミンによる治療をうけることはできませんでした。

そこで、東京都の多磨全生園(ぜんしょうえん)・群馬県の栗生楽泉園(くりうらくせんえん)の自治会はプロミンをすべての療養所の入所者が使えるように予算化を求め、1949年度にプロミンのための予算を認めさせることができました。

こうしたなかで、療養所の自治会の全国組織をつくる機運が高まってきました。

(2014/06/02)