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(3)「全療協の成立とらい予防法」 |ハンセン病回復者の闘い

1951年、7施設が集まった全国癩(らい)療養所患者協議会(全癩患協、のち全患協)が誕生しました。
5ヵ月後には、さらに3施設が加わり、当時アメリカの統治下にあった沖縄・奄美にあった3施設を除くすべての国立療養所が加盟しました。

その後は、この組織が中心になって、政府や施設に対して療養所内の生活や医療の改善を求める交渉をするようになりました。

そんななか起こったのが「らい予防法」の改正です。これは、プロミンの開発により、完全に治すことができるようになっており、欧米では通院治療が普通になっていたにもかかわらず、それまでの法律で定められた強制隔離と外出禁止を踏襲するものでした。

全国の入所者は、この「改正」に反対し、国会前などで座り込みを行い、園を出ることのできない人びとも園内で園内作業を放棄したり、ハンガーストライキをして、たたかいました。

法の成立を阻止することはできませんでしたが、「近き将来本法の改正を期する」とする付帯決議がなされます。
その後は、法改正にむけたたたかいが続けられました。

 

(2014/06/02)