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(4)「此花区・復帰記念の時計塔」 |大阪のなかの沖縄

此花区の四貫島は、戦前から大正区の北恩加島と並ぶ、ウチナーンチュ(沖縄人)の集住地域でした。当時は琉球料理の店が20数軒あったといいます。現在、此花区役所前に「沖縄県祖国復帰記念」の時計塔が建っています。

建てたのは此花沖縄県人会。1972年5月15日、沖縄の日本復帰を記念して、時計塔の除幕式と復帰記念式典をおこないました。

此花沖縄県人会会長の屋良朝光さんは「27年も米軍の施政権下に置かれて、こんなにうれしいことはない。この喜びを此花区民にわかってほしい」と県人会の会員、地域、区民からの寄付金で建立しました。

復帰の日を「すごいうれしかった。 やっと完全な日本国民になったって」と語る屋良さんの故郷・宜野湾市中原は現在も普天間飛行場の中です。「帰りたくても帰れへん。故郷は『あの向こう』でしかないからな」。

1940年、尋常高等小学校を卒業した屋良さんは、働き手として父に呼ばれて大阪に来ました。13歳まで屋良さんを育てた祖母は、沖縄戦で亡くなりました。

大阪のウチナーンチュの想いが込められた復帰記念の時計塔。
復帰から43年目の2015年5月15日、訪れてみてはいかがでしょう。

 

(2014/10/06)