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(4)─岩崎孝祥さんと薬害エイズ─ |薬害エイズとメモリアルキルト

1973年生まれの岩崎孝祥さんは3歳の時に血友病と診断され、1980年から非加熱の血液製剤を使用し始めました。岩崎さんの感染がわかったのは、岩崎さんが小学校6年生の頃でした。

名前を伏せて「薬害エイズ裁判」を闘っていた両親は、岩崎さんの死後、名前を公表し、薬害被害を訴えながら裁判の早期解決に力を注ぎました。

絵を描くことが好きで、画家になることを目標としていた岩崎さんは、たくさんの絵を残しています。油絵や水彩画、そしてマンガやゲームのキャラクターを模写したものもあります。

「桜の絵を描きたい」と言って19歳で亡くなった岩崎さんのために、母親や祖母、友人たちによってつくられたピンクの桜の花が満開のメモリアルキルトがあります。

メモリアルキルトとは、エイズで亡くなった人のためにつくるキルトです。
「メモリアル」という名前の通りその人を記憶する、記録するため、その人の「生きた証」としてつくられるキルトです。

亡くなった人が「ただのエイズ患者」ではなく、名前をもってその人の人生を生きたということを表す、名前。その人が生前に着ていた服や好きだったもの。そして周りの人からのメッセージがキルトに縫いつけられます。

HIV/AIDSに対する差別・偏見がまだまだなくなっていない社会で、キルトのなかでも名前を公表することは難しいことです。
実際に、名前が縫いつけられていないキルトや、イニシャルだけが縫われているキルトもあります。

「薬害エイズ裁判」の和解が成立して19年目の3月、薬害エイズについて、HIV/AIDSについてもう一度考えてみませんか?

 

(2015/03/02)