シリーズ

(1)「大阪市大正区と沖縄」 |大阪のなかの沖縄

大正区は大阪市内の中でもっともウチナーンチュ(沖縄人)が多く暮らす町です。

最近では、雑誌やテレビ、新聞で「リトル沖縄」「沖縄タウン」と紹介されることも多くなりました。

1980年代、JR環状線の大正駅周辺で、沖縄料理の看板を掲げていた店は一つだけでした。しかし、現在では沖縄料理、民謡酒場、物産店などが10店舗ほどあります。

ウチナーンチュが仕事を求めて大阪へ来るようになったのは1910年代です。沖縄から1週間をかけて船で大阪にたどり着いた人びとは、大阪府堺市から兵庫県尼崎市までの大阪湾沿いの鉄工所や紡績工場で働き、お互いに助け合いながらコミュニティを形成してきました。

「大阪のなかの沖縄」は、ソテツ地獄(※)で貧困に陥った沖縄から、「東洋のマンチェスター」とよばれる大阪へ、仕事を求めてやってきたウチナーンチュがつくってきたのです。

大正区の三軒家公園内には、「近代紡績工業発祥の地」と記された碑が建っています。
1883年、渋沢栄一や藤田伝三郎らが出資した大阪紡績会社(三軒家工場)は、日本初の蒸気式の紡績機と発電機の導入により、大阪を日本一の紡績工業都市に押し上げました。
24時間操業のこの紡績工場では、沖縄で募集された大勢の女性が働いていました。

※ソテツ地獄
沖縄では第1次世界大戦後の恐慌期とそれに続く長期不況のため、極度の生活難となり、有毒性のソテツで飢えをしのいだ。

 

(2014/09/01)