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「高等女学校」(3) |女学校と乙女文化

さて、1899年に制定された「高等女学校令」により、全国に高等女学校(以下、女学校と省略)が設置されました。
女学校の大きな教育理念は“良妻賢母”(夫に従う)良き妻、(未来の国民を育てる)賢い母、を育成することが、女学校の目的でありました。
そのためには、数学や英語、哲学の授業がたくさんありました。そんなわけはなく、裁縫や家事などの授業が重視されたのです。

つまり、教養よりも実学、だったわけです。

そんな実学主義のなか、誕生したのが、1911年、実科高等女学校でした。名前の通り、女子にとって実用的とされた家事や裁縫などが中心の学校です。
1911年、まさに『青鞜(せいとう)』が誕生した年に、“良妻賢母”教育の象徴ともいえる実科高等女学校が誕生したなんて・・・。

しかし、皮肉なことに、これによって女子の進学率もぐんぐん増加していくのです。

青鞜(せいとう)
18世紀半ば、ロンドンのモンタギュー夫人らの催した文芸愛好家のサロンで、出席者の一婦人が青い靴下をはいていたところから》文芸趣味や学識のある女性のこと。
女流文芸雑誌。明治44年(1911)創刊、大正5年(1916)廃刊。青鞜社の機関誌。平塚らいてうが編集、のち伊藤野枝が引き継きました。

(2014/05/07)