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教育への情熱(3)「ノブレス・オブリージュ」 |教育への情熱

「ノブレス・オブリージュ」

 

明治時代の終わり、日露戦争(1904~1905年)に勝利したことで、日本は世界の中の「一等国」になろうとしました。そこで、さまざまな改革を推し進めていったのです。

その一つが小学校での教育のあり方でした。政府はそれまでにも、標準語を強制したり、国定教科書を導入したりしていました。それが日露戦争後には、あらためて小学校令を改正して、尋常小学校6年制、高等小学校2~3年制を取り入れたのです。でも各地域では、小学校教育を満足に受けることができない子どもたちがたくさんいました。

大阪でも都市化が進む一方で、大規模なスラムや、被差別部落の中の貧しい家の子どもは、いつしか初等教育から切り離された存在となっていきました。そんな状況を見るに見かねた、久保田権四郎と新田長次郎が立ち上がります。地域の有力者や警察署長からの勧めもあって、夜間学校を創立することを決心したのです。

人の2倍、3倍努力する権四郎と従業員にも家族のように接する長次郎は、このとき、小学校教育を通して手を結ぶことになるのです。そう、鉄と革、久保田権四郎と新田長次郎の共通点とは、「地域の子どもたちのために学校をつくった」ことだったのです。

夜間の、しかも二部入れ替え制の授業をおこなう学校を当時のマスコミや世間は、「貧民学校」と呼びました。授業料はもちろんのこと、教材や教員の給料にいたるまで、当時、保護者が当たり前のように負担していた費用がすべて無料だったからでしょう。これらは、二人の私財でまかなわれていたのです!なかなか、できることではありませんね。

まさに、「ノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)」と言えるのではないでしょうか。

これは、「貴族の義務、高貴なる義務」といった意味のフランス語。要するに経済的、政治的、社会的に地位の高い人は社会に対して、より多くの義務や責任があるという考え方です。

この思想が根づいている欧米では、お金持ちほど社会貢献や社会奉仕(ボランティア等)をすべきだと考えられています。

二人が立ち上がったのは、そんな高貴な思想からではないかも知れません。でも、貧しくて学校に通えない子どもたちのために自然と立ち上がった二人の姿は、この思想に通じるものがあります。

しかも!100年ほど前に、日本でそれを実践していたのですからスゴイですね。

(2013/04/01)