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沖縄文化と泡盛(3)「おもてなしの酒・泡盛」 |沖縄文化と泡盛

 「江戸上り」で献上品として日本本土に運ばれた泡盛は、琉球国王の任命のために中国からやって来る約500人の「冊封使(さっぽうし)」のもてなしにも使われました。

1534年にやって来た冊封正使は「国王がすすめてくれた酒は清くて強烈だった。その酒はシャムからきたもので、つくり方は中国の蒸留酒と同じだ」と言っています。

1816年に琉球を訪れたバジル・ホールは、『大琉球島航海探検記』のなかで、琉球の王子と泡盛を酌み交わしたときの様子を次のように記しています。「王子の卓では盃の応酬は少なかったが、ほかの卓ではあらゆる口実をもうけてサキ(酒:泡盛)の壷を回しては乾杯が繰り返された。サキはそれほど強くはなかったが、きわめて質がよかったから、強いられるまでもなく盃が乾された」

1853年に琉球に上陸したペリー提督一行。交渉を断った琉球王国は、脅かされて渋々、一行を晩餐会に招待します。そのときに飲んだ泡盛について、秘書官のテイラーが『日本遠征記』に記しています。
「小さな盃に注がれた酒は、これまでこの島で味わった酒と比べてはるかに芳醇であった。まろやかに熟し、きつくて甘く、ドロリとした舌触り。フランスのリキュールに似ていた」

泡盛は、寝かせると、こくや独特の香気が出てうまくなります。これを古酒(クース)といいます。
首里城での晩餐会で出された泡盛は、その表現から察すると、古酒だったのではないかと思われます。

琉球王国の外交に欠くことのできない500年の歴史をもつ泡盛。
沖縄戦の後、泡盛が復活したのは1947年。現在、泡盛メーカーは、9つの島に全部で47あります。

(2013/09/18)