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権利を考えるために(1) |よくわかる人権講座

子どもたちと世界の捉え方

何年も前に卒業した学校という空間に出向き、子どもたちの様子を見ていると、新たに考えさせられることがいろいろと出てきます。

その一つの問題に、大げさな言い方になりますが、子どもたちの世界の捉え方があります。
それは、子どもたちにとって、自分の半径5メートルが世界のすべてになっているのではないかという疑問です。

子どもにとっては、「学校と家庭」という2つの空間が、日常生活においてとても大きな部分を占めていることも関係しているでしょうし、自分の子ども時代とどのような変化があるのかも気になるところです。
いずれにしてもこのような思いが、学校で子どもたちを目の前にする度によく生じてきました。

半径5メートルというとても狭い空間の中で人間関係が上手く回っていたら、世界はオールOKにもなるでしょう。
しかし、もしそこで問題が生じたらどうなるのか?
それこそ世界の終わりかのような気持ちにもなるでしょうし、いじめが大きな問題になるのもある意味当然です。

もし、このような世界観を子どもが持っていたとしたら、世界は自分の半径5メートルよりも外の方に圧倒的な大きさで広がっているはずなのに、そこは自分の世界外の話になってしまいます。
社会的な問題にどのように関心を持っていけるのか、という課題にも密接な関係が出てくることにもなるでしょう。

当事者性をもつために

在日コリアンやウチナーンチュ、障がいのある人など、人権課題に関して当事者性をもつ人が社会の中で働いています。
例えば、障がいのある人にとって、障がい者問題は分かりやすく当事者性のある問題です。

ここでよく思うのは、大多数の障がいのない人にとって、障がい者問題は「障がいがあることで困っている人たちの問題」になっているのだということです。
当事者性を感じていない問題は、当然のことながら自分の問題とは実感しにくいものです。
差別問題、ひいては自分の権利に関わる問題も「差別を受けて困っている人の話」で終わってしまうのでしょう。

大人でも同様な問題があるのに、子どもにとって半径5メートルの世界がすべてになっていたら、当事者であることを実感しにくいのはなおのことです。
自分の権利に関わる問題も含めて、社会的な問題は自分の世界とは関係ない話にもなってしまいます。

例えば、実習のためにやってきた大学生たちを振り返ると、マイノリティの立場にある学生が自らの問題をテーマに選ぶのを除けば、自分の権利に関わる問題をテーマにした学生はこれまでほとんどいませんでした。
実習を受けにくるような意識がある学生でも、自分がもつ権利に対する当事者意識があまり感じられていないようです。

だからこそ、この「当事者である」という感覚をどのように培っていけるのかが大きな課題です。
「人権は誰のもの?」と聞かれて、「みんなのもの」と答えるのならば、そこに当事者性を掴み直していかなければならないのかもしれません。

(2016/04/22)