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荊(1)「起草」 |荊

部落問題に関心を持つ人であれば、一度は「水平社宣言」を読んだことがあると思います。

「水平社宣言」とは、1922年3月3日の全国水平社創立大会で読み上げられ、水平運動の基本的な考え方を示したものです。これから創立されようとしている水平社にとっては、綱領とともに最も重要な文書であったと言えます。

この「水平社宣言」を最初に書いた、つまり起草したのがこれも一度はその名前を耳にしたことがあるであろう奈良の西光万吉です。西光は全国水平社を創立するにあたって、宣言が必要であると考えました。そこで、古今東西あらゆる本を読んで準備をしていったのです。

西光が書いた原稿は、東京の平野小剣により添削されました。これをもとに、全国水平社創立大会の三日前、つまり2月28日、数名が集まって宣言と綱領が検討されます。ここでは実に多くの意見が飛び出し、時には激しく議論され、そして、ようやく「水平社宣言」が完成したのです。

創立大会当日の参加者は、1,000人とも言われています。駒井喜作によって「水平社宣言」が朗読されると、感動のあまり、すすり泣く者さえいたといいます。その文章は、「全国に散在する吾が特殊部落民よ団結せよ」で始まっています。

「特殊部落民」という言葉はそれまで差別的な意味で部落民以外の人が使っていたものです。その言葉を逆に自らが用いることで、部落民が部落差別と闘う意志を明確にしようとしたのでしょう。

さらに、中程で二つの自覚を促しています。「人間を尊敬する」という部分では、人間としての自覚を、「エタであることを誇りうる」という部分では、部落民としての自覚をそれぞれ喚起しています。この二つの自覚によって、部落差別を克服するための水平運動を進めようとしたのでしょう。

そして、最後に有名な「人の世に熱あれ、人間に光あれ」という一節で締められています。

なかには、「男らしき」など現在からみればジェンダー意識に欠ける表現はありますが、水平運動の考え方を示した貴重な文書といえるでしょう。では、「水平社宣言」を起草し、水平社の創立に尽力した西光万吉はどのような生涯を送ったのでしょうか?

                                                           大阪人権博物館 研究員より

(2013/06/05)