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「おおさかじん(納涼編)4」 |なにわフィールドミュージアム

(4)大阪城の「明けずの間」

江戸後期、平戸藩主の松浦静山が聞いた話です。
大阪城には、城代が普段暮らしているところの近くに「明けずの間」という部屋がありました。

ここは、大阪夏の陣で落城する際に、多くの女性たちが自害したところで、200年以上たった当時でも
「幽魂」が残っていて、近寄る者に災いをひきおこすのだといいます。

いつのころか、ある城代が無理にこの部屋を開いたところ、たちまち「狂を発し」たと伝えられています。
そのため戸が古くなって傷んでも、戸は開くことなく、その上に板を重ねて補修してきたそうです。

松浦静山が、友人の儒学者にこの話をすると、「今の大阪城は豊臣氏のものではなく、夏の陣後に再建したものなのに」と笑って語ったそうです。
ただ、 静山は「そうはいっても、世のなかには不思議なこともあるから、そんなこともあるかもしれない」と感想を書き残しています。
松浦静山の随筆『甲子夜話』に載っている話です。

(2013/08/19)