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おおさかじん(1) |なにわフィールドミュージアム

今年、春、長年大阪で親しまれた街の魅力を発信する雑誌『大阪人』が休刊となりました。寂しい限りです。
あまりに寂しいので、リバティのメルマガでは、『大阪人』5月号の増刊「古地図を歩く」で、触れられていなかった町の歴史を「おおさかじん」と銘打って不定期連載していきたいと思います。

リバティおおさかの西にある阪神高速道路、今から約40年前には川が流れていました。川の名前を十三間堀川といいます。
これは、河村瑞軒が津守 新田の開発を始めた元禄11年(1698)、瑞軒によって開削されたといわれています。

(1)「十三間堀川」(阪神高速15号堺線)

その名前は川幅が13間あったからついたといいます。1間は約1.8メートルですから、川幅は23メートル以上あったことになります。

かつては、大阪市中の人が船で住吉に遊びに行く時に使っていたそうです。住吉の浜で潮干狩りがある季節には、櫓船がいくつも浮かんでいたそうでしたから、随分はなやかだったようです。

西濱地域でも、以前は夏祭りの時、布団太鼓が浪速神社に集まってお祓いをうけると、船に乗せて中央区にあった坐摩神社に運んだんだそうです。
浪速神社が坐摩神社の末社にあたるからなんだそうですが、いまでは考えられませんね。

(2013/01/09)