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時は戦国時代、九条政基という公家がいました。この方、雅な公家のイメージと違って、血の気の多い人だったようで唐橋在数という公家を殺害していまいます。
京にいられなくなった政基は、自分の領地があった日根庄に下向することになりました。
こうして和泉国日根庄でしばらく生活することになった政基は、戦国時代の地方で暮らす庶民の様子を生き生きと記録した日記を残すことになります。
さて、その文亀元年(1501)7月21日の条に、日照りが続いて困り果てた人々が行った雨乞いの儀式のことが書かれています。まず、行われるのが滝宮(泉佐野市 火走神社)で七宝滝寺の山伏による祈祷です。普通はこれで3日以内に雨が降るそうですが、もし降らない場合は七宝滝という滝や不動堂で祈祷をします。
それでも降らないような場合、最終手段としてとられるのが、滝に動物の頭などの「不浄の物」を放り込むこと。
宗教行事が行われる神聖な場に、「不浄の物」を入れることで神様を怒らせて雨を降らせようという過激な手段。
当時のケガレ意識を逆手に取った大胆な雨乞いです。この手を使えば「必ず降らざることなし」ということです。
(2013/01/07)