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(1)「『賤民』制廃止の法令」 |「解放令」から140年

今から約140年前の1871年、和暦でいうと明治4年。まだ、旧暦であったこの年の8月28日(太陽暦に換算すると10月12日)、時の政府にあたる太政官から、ある法令が出されました。

「穢多・非人等の称、廃せられ候条、自今、身分・職業とも平民同様たるべきこと」
 (原文は漢文、ひらがなを使って読み下した)

この内容をそのまま現代語で意訳すると、「穢多」「非人」等の身分の名称が廃止となったので、これ以後は、いずれの身分や職業も平民と同様とすべきである、ということになります。
このあと、具体的な廃止の手順などが簡単に書かれ、各府県へ通達するよう指示されています。

では、廃止された「穢多」「非人」とは、どういった身分の人びとなのでしょうか。
それを考えるには、少し時計の針を戻して、江戸時代にさかのぼらねばなりません。

江戸時代の身分は、大まかにいって、人びとを支配する武士、町中で商売をしたり、ものづくりをする町人、そして農村や漁村などで生活をする農民、漁民のほかに、ここで話題となる「穢多」「非人」などにわかれていました。

このうち、町人や農民は「平民」と呼ばれており、それ以外の人びとは「賤民」として蔑まれていました。
もちろん、「賤民」は自分たちのことを「穢多」「非人」とは呼ばず、「かわた(皮多)」や「長吏」と自称していました。
こうした「賤民」身分の廃止を言い渡したのが、冒頭の法令であったわけです。

(2012/11/28)