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(1) 大阪の街道 |人権の散歩道

 大阪には江戸時代から、周辺の村々や諸国と通じる街道がたくさんありました。街道は今の時代でいえば、幹線道路といったところでしょうか。この街道沿いには、差別・人権問題に縁(ゆかり)のあるスポットが数多くあります。

 かつて栄えた街道の始点は、ほとんどが堺筋のやや東を南北に流れる東横堀川にかかる『高麗橋』でした。(現在の大阪市中央区)高麗橋の由来には諸説あり、古代に朝鮮半島諸国の使節を迎えた高麗館(こまのむろつみ)があったという説 豊臣秀吉の町割の際、この近辺に朝鮮との交易拠点があったという説などが有力です。

 今では高速道路の橋げたを見上げるようにコンクリート製の橋が遠慮がちに架かっていますが、相変わらず、人と車の行き来は盛んで往事の面影をしのばせます。

 地名にもなっているほどの由緒ある橋ですから、古い歴史書や記録には、木造の高麗橋を行き交う旅人の姿が描かれています。

 特に1931年に南木(なんき)芳太郎によって編集・発行され、発行元をかえつつ1944年まで出された雑誌『郷土研究・上方』の第59号(1935年11月)の表紙には、色鮮やかな錦絵「明治初年の高麗橋」が描かれています。ここを出発点にして、北へ延びる中国街道、亀岡街道…、南へつながる紀州街道、熊野街道…といったようにいろんな街道へ向かうことができます。

(2012/11/28)