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(4)「紀州街道」 |人権の散歩道

 徳川八代将軍・吉宗の出身地は和歌山、つまり紀州です。

 現在、堺筋には道頓堀川にかかる日本橋があります。この橋は、江戸時代には公儀橋(幕府の経費で架ける橋)として知られ、高札(幕府の通達を墨で記して掲げた木札)もかかっていました。

 この日本橋筋界隈には、いまでこそ家電量販店やパソコン販売店が軒を連ねていますが、かつてその南半分ほどは江戸から明治にかけて、巨大な貧民街(スラム)として「長町」の名で全国に知れ渡っていました。その名の通り紀州へと向かう街道は、「長町」の南端にある恵美須町交差点付近で進路を西に変更し、すぐに南下を始めます。

 このあたりは、かつて広田町(広田神社に由来)や関谷町と呼ばれ、やはりたくさんの裏長屋で貧しい人びとが生活していました。

 商売繁盛の神様・今宮戎神社を右手に見つつさらに南下すると、JR環状線・関西本線のガードをくぐり抜けます。すると、街道の両側に鉄筋コンクリートづくりの簡易宿が軒を連ねているのがわかります。

 通称「ドヤ(宿の反対読み)」と呼ばれる宿が建ち並ぶのは、西日本最大の日雇い労働者の町、「釜ヶ崎」です。高齢化をたどる「釜ヶ崎」では、いま福祉と医療を基本とした町づくりが多くの関係者の手で進められています。

 紀州街道は、一大観光地の新世界を背にして南下し、天下茶屋、堺、和泉、岸和田、貝塚、泉南へ人びとの足を運びます。

(2012/11/28)