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アジアの現場から「ビジネスと人権」を考える:バングラデシュから世界へ |人権情報

アジアの国・地域から「ビジネスと人権」を考えるシリーズの今回は、バングラデシュから世界に広がるサプライチェーンへの関心とその問題の解決に向けた動きを追ってみたいと思います。

菅原絵美(大阪経済法科大学国際学部准教授)

「ビジネスと人権」の視点から世界に衝撃を与えた事件といえば、バングラデシュでのラナプラザ縫製工場ビルの崩壊事故が思い出されるのではないでしょうか。2013年4月24日、8階建てビルの倒壊により、1,100人を超える尊い命が奪われ、2,600人以上が負傷しました。この事故の衝撃は、被害の深刻さに起因することはもちろんですが、世界とのつながりが明らかになることでより広がりました。ビルには5つの縫製会社が入っており、そこで製造された商品は世界の有名ブランドに供給されていたからです。ラナプラザビルでの事故は、バングラデシュの国内問題にとどまらず、サプライチェーンを通じた地球的課題であることが再認識されました。まさに、国連「ビジネスと人権に関する指導原則」に規定されるように、委託先である他社での人権侵害に対して、有名ブランド各社は人権デューディリジェンスを行う責任を問われました。

さて、ラナプラザ事故の原因が、建物の違法な増築にあったことはよく知られています。倒壊する前日の朝にビルの柱に亀裂が見つかっていたにもかかわらず(そして地元ジャーナリストがやってきたことから前日は工場が閉鎖されていたにもかかわらず)、悲惨な事故は起こってしまいました。
加えて、バングラデシュNGO「Odhikar」の報告書ⅰからわかるのは、この悲惨な事故が、労働者に対し日常的に行われてきたさまざまな人権侵害のうえに発生していたことです。事故当日の朝、安全への懸念からビルに入るのを拒む労働者たちを、ビル所有者や縫製会社の経営者らは強制して職場につかせていました。また、ビル所有者は、労働者たちを「解雇する」と脅しながら、自分の組織する政治的会合に動員していました。労働安全だけでなく、低賃金、長時間労働、労働組合結成への干渉などを含む労働者の権利の数々の侵害のうえに、ラナプラザでの事故があったのです。

事故のあと、バングラデシュではいくつかの前進が見られています。そのひとつに2013年5月13日に発足した「バングラデシュにおける火災予防および建物の安全に関する協定 」ⅱです。これは企業と労働組合、NGOの間で結ばれる法的拘束力ある合意で、署名した企業は、5年間に渡り、安全に関する検査や改善のプログラムを進めていきます。加えて、ラナプラザの事故は、「労働安全衛生」の違反に留まらず、労働者が有する諸権利の侵害が積み重なって発生していることを考えると、より広い対応が求められます。協定には、労働者のエンパワメントも含まれており、火災予防の研修に加え、安全でない労働を拒否する権利についての研修が含まれています。より組織的な面の強化、例えば、民主的な安全衛生委員会の設置や苦情メカニズムの設置を行うことも規定されています。このように、企業によるトータルな労働者の権利保障に目が向けられる一方で、バングラデシュ社会では労働組合の結成を試みた労働者の解雇や逮捕が続くなど、まだまだ厳しい状況が続いています。

ラナプラザの衝撃を受けて、世界が動きだしました。そのなかでも、フランスは議会において、事故以来、国外の子会社・サプライヤーに関する親会社の責任をどのように強化するかについて議論されてきました。この結果、2017年3月27日から、企業のサプライチェーンに対する注意義務(au devoir de vigilance)を問う法律(以下、「企業の注意義務法」ⅲ) が施行されています。
「企業の注意義務法」の対象となるのは、フランス法により設立された企業のなかでも、2会計年度に渡り、「当該企業およびフランス国内に本社所在地を有する子会社の従業員が5,000人以上の企業」または「当該企業およびフランス国内外に本社所在地を有する子会社の従業員が1万人以上の企業」です。実際に対象となるのは150程度の大企業であり、フランスで国際的な貿易に関わる企業の3分の2を占めるといわれています。
企業は、自社の行為に加え、自社の支配下にある企業、ビジネス関係を有する調達先や下請先の企業の行為に対し、注意義務を負うことになります。具体的には、これら企業の活動から直接的および間接的に人権侵害や環境破壊が生じないよう、「注意義務の計画(a vigilance plan)」を立てることが求められます。
つぎのものが含まれます。

①人権・環境へのリスクを特定し、分析し、ランキングするためのマッピング
②マッピングに従いビジネス関係を有する子会社、委託先や調達先の状況を定期的に評価する手続
③人権・環境リスクを軽減し、深刻な被害を防止するための取組み
④潜在するリスクまたは現実のリスクを収集する警戒メカニズムで、これは自社の労働組合代表らとの協働のもとに行われる
⑤実施された措置の進捗確認を行い、それらの実効性を評価するメカニズム

 法律で求められる「注意義務の計画」は、国連ビジネスと人権に関する指導原則、人権デューディリジェンスに沿った内容になっていることに気づきます。実際に議会での法案審議過程のなかで、国際社会において人権デューディリジェンスが求められることが確認されています。
 法案の段階では、企業が注意義務を果たしていない場合や、この義務の欠如が侵害の直接的原因になった場合には罰金を科すことになっていましたが、この規定は憲法裁判所によって否定されました。このような罰則規定はなくなりましたが、被害者から訴訟提起されれば注意義務違反により法的責任、場合によっては賠償責任を負う可能性は残りました。企業の注意義務に関する国内法が成立した意味は大きいと評価されています。

同様の動きが、世界各地で見られます。フランスでの動きに先立ち、2015年に英国で現代奴隷法が制定・施行され、英国企業および英国でビジネスをする企業は自社およびサプライチェーンにおける現代奴隷(人身取引および奴隷労働)対策の情報を開示するよう求められるようになりました。この英国法を受けて、2017年2月15日、オーストラリア司法長官は、議会委員会に対し、同国において現代奴隷法を制定することについて調査・報告するよう求めています。また、オランダでは、企業に対しサプライチェーンにおいて児童労働が発生しているかどうかを確認し、どのように児童労働を解消するか行動計画を立てるように求める「児童労働デューディリジェンス法」が議論されています。2017年2月7日に、オランダ議会下院を通過し、現在、上院で議論されています。

ラナプラザのような悲惨な事故を、世界に広がるサプライチェーンで二度と起こさないために、企業の人権尊重責任、そして人権デューディリジェンスの実践がより一層求められてきています。

菅原絵美(大阪経済法科大学国際学部准教授)

ⅰバングラデシュNGO「odhikar」の報告書
ⅱ「バングラデシュにおける火災予防および建物の安全に関する協定」
ⅲ「企業の注意義務法」

(2017/11/09)