トピックス

[LGBTと人権]真っすぐに信じた道を突き進め ~自分らしく生きる道~(2) |人権情報

母の思い

大学をやめて20歳で和歌山に帰ってきました。
小学校、中学校、高校の友だちや、両親、家族にすべてを話そうと思い続け、しばらくして「話あるんや」と母を呼びました。すると、母は涙を流していました。私が「何でオカン泣いてんの」と聞いたら、「あなたが今から何を言おうとしているのか分かってる」と言って泣くんです。「あなたが小さい時から、ずっと気づいてた。女の子として生まれて、いつか女の子に戻らんかな、いつか女の子にならんかなという思いが、あなたをどれだけ一人で苦しめたやろか。私は母親として失格です。生きてくれててありがとう。あなたが男であろうが、女であろうが、あなたは私がおなかを痛めて生んだ子どもです。あなたが幸せであることが私の願いです」と涙を流す母の姿を見て、この母の下に生まれてよかったと思いました。

さらに母から「あなたが今していることはあなたらしくないとお母さん思うんや。苦しいこと、つらいことは人を不幸にするんじゃない。確かに他人と比べて仕事の面にしてもそう、友だち付き合いにしてもそう、恋愛にしてもそう、周りの目にしてもそう。確かに他人よりは壁は大きいかもしれへん。けど、たとえこの先の壁が大きくても、とにかく今日をお母さんと笑顔で生きてよ。明日をお母さんと一緒に笑顔で生きてよ。そうやって1日1日、前を向いて生きていたら、頑張ってる人には必ず光が見えるから。だから今は前を見たら辛いかもしれへん。苦しいかもしれへん。けど、お母さんと一緒に明日を笑顔で生きてよ」と言われて、「オカンの言う通りや」と思って、何か目標を見つけようと歩み出し始めました。

女性から男性へ、揺れる心、そして結婚

20歳の時にボクシングと出会いました。世界チャンピオンになる前の話ですが、東洋太平洋のチャンピオンになった頃(23歳)に、男性としての心を持ちながら女子としてリングに上がっている自分がおかしいなと思うようになりました。

当時、女子としてリングに上がっている私を男性として認め、結婚も考えてくれている彼女(現在のパートナー)がいました。そんな中で女子としてボクシングをやっている自分がおかしいなと。もうボクシングをやめて性別適合手術を受け、戸籍を男に変えて生きていこうと思い、精神科専門医のいる大阪の病院に行きました。
先生から「性同一性障害だから戸籍を変えるということがゴールじゃないですよ。戸籍を変えても性同一性障害であるということは一生抱えていきます。戸籍を変えるということは、子宮を取り、胸を取り、男性ホルモンを打たないといけません。戸籍を変えずに男という認識で生きていく人もいます。大切なのはあなたが笑顔で自分らしく生きていくことです。今あなたには輝ける場所があります。その場所を失ってまで今すぐ男になって戸籍を変えるよりも大切なものがあると私は思います」と言われました。

帰りの車の中で、彼女が喜んでくれると思って「先生にあんなこと言われたけど、戸籍を変えるからよ」と言ったんです。すると逆に「ダサ!男とか女とか一番意識しているのはあなたやん。あなたを応援してくれる人たちは、あなたが男やから、女やから、じゃなくてあなたという人間のファンじゃないの。一度世界チャンピオンになるって決めたんやろ。それを途中で諦める方が男らしくないんじゃない?」と言われたんです。私は「ああ、その通りやな」と思いました。とにかく彼女との約束で世界チャンピオンになって、そこでまた今後のことを考えようと思いました。

そして2013(平成25)年5月、地元和歌山で開催されたWBC女子世界フライ級王座に挑戦し、男女を通じて和歌山県初の世界チャンピオンとなり、彼女との約束を果たすことができました。その後、彼女と結婚することを決意し、性別適合手術と戸籍変更を終えて男性になり、2017(平成29)年7月に結婚しました。

おわりに

私自身がこういうふうに生まれてきて、つらいこと、苦しいことがありましたが、前を向いて生きていくことが大切ですということを講演会などで伝えています。
LGBTの当事者として見るのではなくて、人として見ることが大切なことじゃないのかなと思います。私のような個性を持って生まれてくる人は、傷つくことや嫌なことがたくさんあります。幸せだと感じられることがどうしても少なくなり、気持ちが弱くなってしまいます。

私は、やっぱり知識があるかどうかではなくて、心があるかどうか、そのうえでどう関わるかが大切だと思っています。何とかしてやりたいな、何とか力になってやりたいな、そんな思いをもつだけでも人を救うことになります。例え100人に悪口を言われても、たった1人が味方になってくれたら、命が守られることもあります。ストレスになっているもの、悩んでいるもの、一つでもいいから気づいてあげて、声をかけてあげる。人として力になってあげたい。そういう思いを、私は一番大切にしたいと思っています。

真道さんとの懇談

懇談の様子

講演会のあと、真道さんと柄川理事長および広報委員で懇談させていただきました。
真道さんからは、講演会では時間が足りず話せなかったボクシングを始めたきっかけなども伺いました。

 

 

 

 

理事長 :子どもたちを支援する活動で、信念というか一番大切にしているものは何ですか。
真道さん:信念は大切なんですが、それが強くなりすぎると大切なものを見失っていくこともあります。教科書には、発達に遅れのある子どもたちはこう扱いましょう、などと書いています。でも子どもたちが教科書で育つかというと、そうではありません。型にはめてしまいがちになるので、本当に日々勉強ですね。上から目線の支援は、子どもたちは気づきます。共に学びながら共に成長するということが一番大切だと思うんです。

広報委員:真道さんは、非常にエネルギッシュで、ひどいいじめにあっても逃げることなく、常に前向き。そんな凄すぎる真道さんにとって、悩む子どもたちは自分とギャップがありすぎて、その悩みを理解して寄り添うことは大変だったりはしないのですか。
真道さん:私がこういうふうに前向きだから、悩みなんてないやろ、パワーあるやろ、と思われますが、メッチャ弱いんですよ。いろいろあったけど、自分が前向きになろうと思えたのは周りの人に恵まれてきたからです。エネルギーはあるんですけど、全然パーフェクトじゃないし、ダメなところばかり。壁にぶち当たるたびに、この子にどうしてあげたらよかったんだろうとか。「何でできやんねん!」と、誰かと比べて言ってしまった自分を後から後悔して「あっ、人と人を比べるんじゃないよね。昨日のこの子と今日のこの子とを比べてあげやなあかんな」とか反省させられています。

広報委員:(真道)「ゴー」という名前にちなんで(橋本)「浩」という字を使っておられますが、なぜ「浩」になったのですか。
真道さん:それはうちの父親が「浩一郎」なんですよ。兄貴が「浩史」なんですよ。
それで「ゴー」ってどうしようかなと思ったときに、やっぱり親父の名前を取ろうかなと思いました。

広報委員:ボクシングを始めたきっかけは何ですか。
真道さん:もともと大学に入る時に、教師になるか、レスキュー隊というのがすごい夢でした。最終的にレスキュー隊、消防士をめざそうと思いました。あるとき早朝に海辺を走っていたら、たまたまレスキュー隊の人に出会い、その人がキックボクシングをしていて「お前走るだけじゃなくて体鍛え直せよ」と言うので、ボクシングジムを訪れたのがきっかけなんです。
理事長 :まさに運命というか、出会いというか。体を鍛え直すためにボクシングジムに行って、そこで認められたわけですか。何かすごい話ですね。
真道さん:そうです。ボクシングには全く興味がなかったんですが、ちょっと見学してマネしていたら、「お前素人か」って言われたので、「いや、ケンカぐらいしかしたことはありません」みたいな感じで答えたら「面白いやつやな」みたいな話になってジムに入ったんです。
ボクシング始めてから2ヵ月後くらいに、世界チャンピオン級の人たちが集まるプロテストに連れていかれました。そのときセコンドについてくれた人から、「で、お前どんなパンチ出せんねん」と聞かれ、私は「いや、真っすぐしか打てません」と言いました。そしたら「とにかくリーチがあるから左を出しながらずっと左に回っとけ。相手が来るかなと思ったら1回大きく右ストレート打ってみろ」と言われたので、忠実に守って素直に打ったら、パンチが当たって相手が倒れ、それでプロテストに受かりました(みんな爆笑)。

全 員 :本日はとても気づきの多いお話ばかりでした。本当にありがとうございました。

サインもいただきました

(2019/02/13)