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「『ココルーム』はこころみる」釜ヶ崎でいのちと表現を大切にした場をつくり続ける(1) |人権情報

上田 假奈代さん

大阪市西成区の釜ヶ崎で喫茶店のふり、宿泊施設のふりをしながら、主にこの街に暮らす『おっちゃん』たちの芸術や表現の機会の場をつくり続けるココルーム。アートを軸に、ホームレスの詩人やピアニストの表現活動のマネジメントを行ったり、若者の就労支援をしたり、野宿生活者のことを考える夜回りや高齢者のアパート管理、やがて直面する孤独死に向き合うなど、よろず相談所的活動家として、多様な人びととの出会いと出会いなおしの場づくりを仕掛け続け、誰でも無料で入学でき、退学も復学も自由という「釜ヶ崎芸術大学」(以下、釜芸という)を開校している上田さんにお話を伺った。

「ココルーム」入口

ココルームとは「NPO法人こえとことばとこころの部屋」の略称。全国有数の人口密度や生活保護率、男性比率が8割以上で、平均寿命においては全国市町村で最下位というあいりん地区のある釜ヶ崎は、大阪市西成区のわずか0.62平方キロの地域の呼び名で、日本最大の日雇い労働者の街として知られている。そこの動物園前一番街の商店街の一角にココルームがある。
昼前ということもあり、私たち取材クルーも一緒になってスタッフ、ボランティア、そして国内外を問わず、旅人や客人が大皿のごちそうを囲んでの昼食。一方的に客としてサービスを受けるのではなく、お互いの関わり合いをおもしろがり、尊ぶ姿勢で出会いを楽しむ雰囲気の中、和気あいあいといただく。ココルームに来てもらうことが最もボランティアになるので、構えず気軽にいらしてくださいと上田さんが社会包摂(ソーシャルインクルージョン)の極意をさらりと一言。
まず最初にご案内いただいたのが敷地奥にある井戸。上田さんが主宰する釜芸講座のひとつ「井戸掘り」の成果である。大阪の真ん中、下町の釜ヶ崎にいのちをつなぐ水、生きるを支える水を自らの手で汲んでみたい。蛇口をひねったら水が出るのは当たり前。そんな当たり前を疑ってみると、日常の見え方が変わる。そんな純粋な発想で、井戸掘りプロジェクトがスタートした。

井戸端でお話しを伺う

講師は、戦乱や干ばつで荒廃したアフガニスタンの復興に人生を捧げ、凶弾に倒れたペシャワール会現地代表の中村哲医師の下、一緒に地域の生活に根ざした井戸をつくってきた蓮岡修さん。完璧な井戸をめざすのではなく、水が枯れればまた掘って使えるというアフガニスタンに昔から伝承する考え方を踏襲して水脈をたどる。
全国の飯場(工事現場の意)を転々とし、日雇い労働者として、ときには野宿をして生きてきた釜ヶ崎に暮らす人びとは、今では70代、80代のおじさんたちが中心。日本の地面を掘ってきた、いわばプロフェッショナルである彼らと地面を掘ることで「出会える」何かがある気がしたのだそう。この街に流れ着き、生きる人びとの得意技、土木の知恵と経験を活かして、子どもや若者、旅人も一緒に、いのちの源である水を汲み出すための試みを行うことは、釜ヶ崎の人びととの「出会いなおし」でもあるという。「子どもが彼らを『釜のおっちゃん』ではなく『先生』と呼んで、その身のこなしを尊敬のまなざしでみつめたのよ」と上田さんが嬉しそうにお話しをされる。

井戸枠のブロックひとつひとつには 制作者の名前が刻まれている

昨年春先から、苦労しながら井戸の枠を組み上げた。コンクリートを固めて毎日一周分ずつ作った手づくりのブロックを、積み上げていく作業である。井戸掘り資金はクラウドファンディングで300万円を調達して賄ったそう。コンクリートブロックのひとつひとつには協力いただいた方の名前が刻まれており、一部が垣間見えた。
釜芸は、人生を学ぶ、学びあう場である。大学のふりをして、天文学、数学、宗教などの講義のすべての何もかもが芸術の対象として、そして学びあう場として見事に機能している。
「学びたい人が集まれば、そこが大学になる」というキャッチフレーズにさまざまな人たちが集う。街でつながり、ワークショップの場をつくる。年間約100講座、まさに大学以上の大学かもしれない。直近は大阪大学と協働する関わりを持ち、市民大学が国立大学と互角に渡り合っている。
2018年からスタートした共同講義。中でも「【KamaHan】(カマハン)写真とことば」と題された授業は、釜ヶ崎を歩き、撮影してフォトブックをつくるだけでなく、講師の齋藤陽道さん(写真家)や写真を通じて釜ヶ崎とは何ぞやについて知る回や、手話を学ぶ回など、広い視野で授業が行われる。 (次回につづく)

(2020/09/09)