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科学技術の進歩と人権 ー企業経営の視点でー(1) |人権情報

企業経営に多大な影響を及ぼす科学技術の進歩

2019年夏、以下の新著四冊を上梓させていただいた。『ネット暴発する部落差別-部落差別解消推進法の理念を具体化せよ』、『科学技術の進歩と人権-IT革命・ゲノム革命・人口変動をふまえて』、『激変する社会と差別撤廃論-部落解放運動の再構築にむけて』、『ゆがむメディアゆがむ社会-ポピュリズムの時代をふまえて』である。本稿はその中の『科学技術の進歩と人権』の内容をベースに執筆した。その拙著の「はじめに」で「科学技術の進歩にともなって、人権問題はより高度で複雑で重大な問題になっているように、政治や経済をはじめ社会にも劇的な影響を与えている。本書発行直前の2019年6月下旬、新聞各紙でSNS最大手の米フェイスブック(FB)が独自の仮想通貨(暗号資産)の発行計画を打ち出したことが報道されていた。FBのユーザーは約27億人といわれており、世界人口の約3分の1が利用している。先進国だけを対象にすれば利用率はさらに高まる。これらもIT革命の進化がなければ実現できないことである。

近畿大学人権問題研究所
主任教授 北口 末広さん

FBは仮想通貨『リブラ』発行の意義を「世界の多くの人が基礎的金融サービスすら受けられず、年250億ドル(約2兆7,000億円)もの費用が送金のため失われている。これが我々が取り組む挑戦だ」と述べている。こうした動きは既存金融機関に多大な影響を及ぼすだけではない。(中略)個人のお金の動きを把握できれば、ターゲット広告やマイクロターゲット広告をより精緻なものにでき、それはFBや本取り組みに参加する企業等に多くのメリットをもたらす。

それだけではない。世界の3分の1の経済圏を握るということは世界経済に甚大な影響を及ぼすことができるということでもある。各種選挙でも有権者の3分の1の支持を受ければ、事実上過半数の議席を獲得できる可能性が高くなる。おそらくこの計画が実現されれば、今、私たちが考えている以上に経済以外の多くの分野にも予想を上回る大きな影響を与えるだろう。

本書では、「IT革命やゲノム革命の現実を紹介しつつ、それらが社会や人権問題に与える影響をより具体的に分析してきた。さらに人口変動の視点を重ねることによって、劇的に変化する社会とこれからの課題について論じてきた」と記した。大阪同和・人権問題企業連絡会の関係者の皆さまにも読んでいただければ幸いである。

桁違いの規模になったスケール・スピード・情報化

科学技術の進歩とりわけIT革命の進化は、スケールとスピードと情報化を桁違いの規模で深化させている。例えば全世界で取り組んできたヒトゲノム(遺伝子のワンセット)解析の時間と費用は、約20年前の「10年間と3000億円」から「数時間と数万円」になった。時間にして1万分の1以下になり、金額にして300万分の1以下になった。スピードが1万倍になったということは、単純にいえば1年かかったデータ分析が、1時間弱で達成できることを意味している。現実はそれほど単純ではないが、データ分析が驚くべきスピードと安価でできるようになったということである。こうしたスピードと経済性が今日の企業経営に劇的な影響を与えている。膨大なビッグデータの収集と分析が可能になり、加速度的に進化しているのである。それらを活用した研究やビジネスも飛躍的に進化している。

これらはコンピュータの飛躍的な進化の結果である。とりわけIT革命の中心的な位置にあるAI(人工知能)の進化は科学技術の加速度的な進歩を実現し、社会のあらゆる分野を激変させている。これらが人権分野にも絶大な影響を与えている。人びとの差別思想や差別意識、偏見にも悪影響を与え、差別を拡散することにも悪用されている。差別・偏見を扇動するフェイク(虚偽)情報をAIが書き、そのフェイク情報をAIがツイッターのアカウントを大量に入手し、特定の差別助長キーワードに基づいて多くの投稿をコピーし自動で拡散していく時代である。これらの情報がネットリテラシーのない多くの人びとの差別や偏見を助長することにもなってきた。

一方、ゲノム革命は人権の享有主体である人間そのものを変えてしまう技術をもたらしつつある。さらに日本における人口変動は、社会の在り方や課題を根本的に変えようとしている。こうした変化にともなった社会的課題も、より高度で複雑で重大な問題になってきた。これらの課題を事業化し解決することは企業経営のベースであるとともに、進化した科学技術を駆使して課題を解決することも企業経営にとって極めて重要なことである。さらにこうした科学技術を駆使するときに忘れてはならないのが、本稿のテーマでもある人権視点である。これまでからも科学技術の進歩は人権問題にプラスとマイナスの多大な影響を与えてきた。これらが桁違いの大きさになりつつある。つまり企業は科学技術を駆使するだけではなく、それに伴う人権侵害等を防ぐことも重要な課題であることを忘れてはならない。企業経営の重要な目的の一つが利潤追求であることは自明だが、それらを追求するあまりに重大な人権侵害や個人情報の侵害に関わる重大な不祥事も発生している。

個人情報保護よりも利益を追求したリクナビ問題

2019年、問題になったリクルートキャリアが運営する「リクナビ」問題は近々の典型的な事例といえる。リクナビに登録した個々の学生が閲覧した企業や業界のサイト情報をAI(人工知能)で分析し、就活中の大学生が同業他社や他の業界のサイトを閲覧した記録や閲覧時間の傾向から内定辞退率を5段階で算出し、同意も取っていない約8,000人の学生を含むデータを38社に販売していたことが明らかになった。就職情報サイトの「リクナビ」は業界最大手であり、同業でほぼ同じ規模の「マイナビ」と合わせて寡占状態にある。ほとんどの就活生はこれらの就職情報サイトを利用するために登録し個人情報を提供している。それらが本人の同意もなく企業の利益のために使われていたのである。

この一報を初めて知ったとき1975年に発覚した「部落地名総鑑」差別事件や就職差別身元調査と重なる思いを抱いた。リクナビは掲載企業数約3万社で登録学生数約80万人といわれている。学生は無料であり顧客企業からの掲載料で成り立っているビジネスである。このような形で節度もなく個人データが悪用されてしまうと就活生の趣味嗜好や思想信条等がある程度把握されて、それらが採用判断に差別的に利用されるのではないかと考えてしまう。まさにIT革命の進化にともなうビッグデータ時代が、プライバシー侵害や個人情報侵害の横行時代になってしまうのではないかと危惧する。

ビッグデータ時代とは、文字通り大量の情報を蓄積し分析することで、時代の傾向やトレンド、人びとの動き、自然現象などをリアルタイムで把握し、それらをビジネスをはじめあらゆる分野に活用できる時代のことである。IT革命なくして実現しなかったことである。ITの進化によって大量の情報を蓄積し分析することができるようになった成果である。これらの技術は多くの積極面を持つ反面、消極面として個人情報やプライバシー面で多くの課題も存在する。ビッグデータの元は個人が発した「つぶやき」であったり、個人の購入履歴であったり、個人のデジタル上の言動と密接に結びついている。1つのデータだけでは個人が特定されなくても、各種データが重なれば限りなく個人が特定されることになってしまう。今や画像データも著しく進化している。個人の顔を識別することも可能になっている。データがビッグになればなるほど個人情報やプライバシーを守る防御壁もビッグにならなければならない。そうでないと重大なデータ流失が発生し、多くの人びとのプライバシー侵害をはじめとする多種多様な人権侵害につながる。防御壁をビッグで強固なものにすれば、多くの人びとも安心してビッグデータの活用を歓迎するだろうが、防御壁が軟弱なものであれば、多くの個人データに関わる不祥事が発生する。この消極面が就職活動や求人分野で発生したのがリクナビ問題である。

(次回につづく)

(2020/10/23)