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与謝野晶子と堺 |与謝野晶子と堺

「大阪出身の女性有名人といえば?」

与謝野晶子さん。
言わずと知れた「日本の歴史・女性部門」のクィーン。たぶん。
ご出身は大阪の堺。ということで、堺の街で与謝野晶子をさがしてみましょう。
南海高野線の堺東駅と南海本線堺駅に挟まれた区間は、古くからの市街地。
お寺もたくさんあって、町歩きにはぴったりです。

「文学散歩・生家編」

宿院のバス停下車。
中央環状線、通称「フェニックス通り」と阪堺電車が通っている府道197号線の交差点。
府道197号線を北(北東)にむかって、てくてく歩きましょう。すると、与謝野晶子の生家跡の碑が立っています。
そこには、“海こひし潮の遠鳴りかぞへつゝ少女となりし父母の家”という和歌が刻まれています。
晶子は1878年、堺の老舗和菓子屋「駿河屋」の三女として生まれました。
堺女学校(現在の泉陽高等学校、ここにも晶子の歌碑があります)に入学し、「源氏物語」などの古典に親しみました。
父親は「女には学問はいらない」という考えをもっていたようで、学校卒業後の晶子は、店番をしながら父親に隠れて
本を読んでいたそうです。ちなみに、「駿河屋」は羊羹が有名でした。
生家跡の碑の道路を挟んだお向かいには甲斐町の碑があり、そこにも晶子の歌が刻まれています。
“菜種の香古きさかいをひたすらむ踏ままほしけれ殿馬場の道”

「文学散歩・寺編」

府道197号線を北東に向かって歩きます。
この道は紀州街道といって大阪と和歌山を結ぶ街道でした。この道を阪堺電車の駅3つ分歩きます。
道路沿いには刃物屋さんや線香屋さん、イートインできる和菓子屋さんがあります。誘惑ですね。
妙国寺前の駅をすぎ右に入ります。
大きな通りからそれると住宅地なのですが、お寺がたくさんあります。さすが、堺。
今回は、本願寺堺別院と覚応寺の晶子の碑に行ってきました。
覚応寺は門が閉まっている場合があるので、インターフォンで寺の方に「与謝野晶子さんの碑を見せてください」と
ひとこと声をかけましょう。
覚応寺の住職河野鉄南(1874年~1940年) は、「浪花青年文学会」の中心人物で晶子と鉄幹を引き合わせた
人物です。
“その子はたちくしにながるゝくろかみのおごりの春のうつくしきかな”
覚応寺では晶子の命日である5月29日に「白桜忌」が開催されています。
そして、近くには重要文化財に指定されている江戸時代初期の町家である山口家住宅(堺市立町家歴史館)もあり
ます。

「歌碑めぐりのすすめ」

最後は宿院のバス停に戻って南海本線堺駅に向かいます。
歩くのに自信のない方は、バス停まで阪堺電車(路面電車)に乗りましょう。
南海堺駅前には晶子像がお出迎えです。
“ふるさとの潮の遠音のわが胸にひびきをおぼゆ初夏の雲”
時間のある方は、ここから南海電車で、晶子と鉄幹がデートをした浜寺公園に行ってもいいですね。
そこにも碑があります。
妙国寺前の駅から阪堺電車で浜寺公園に行く手もあります。
チンチン電車の車窓から堺の街を眺めるのもいいですね。
暑さにうだっている方は南海電車に乗って難波に着いたらお茶をしてください。

(2015/07/27)