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(4)「千日前の景観」 |千日前今昔物語

歴史を知る手がかりは、数多くあります。書物や絵図、伝聞(口承)などなど。

千日前の墓所についても、この地を描いた刷り物が残っています。現在は、大阪歴史博物館の所蔵になっていますが、これを初めて見た時の驚きは今でも忘れることができないそうです。

現在で言うなら、墓地の絵葉書かポスターが市販されていたようなものだからです。そして、そこに描かれていた絵も印象的だったそうです。

広い土地に多くの人が歩く、なんだか明るい雰囲気なのです。決して、うら寂しい雰囲気が漂っていたりしません。

どうやら、こういった刷り物が販売されていたということは現在のような感覚で墓地や火葬場を見てはいけないということになりそうなものなのです。

実は江戸時代の大坂名所案内を見ると千日墓所が観光コースに入っていて、そこが観光地だったことがわかります。

近世の江戸では「掃苔(そうたい)」といって、著名人や尊敬する人の墓を探し、参拝する行為が文化人の間で一種の趣味としておこなわれていたようです。

そういった趣味の一環なのかどうかはわかりませんが、例えば『里見八犬伝』などで知られる作家・滝沢馬琴も大坂へ旅行に来た際には千日墓所へ来て、いろいろと墓を見物しています。

千日墓所には元禄8年(1695年)に心中した美濃屋三勝・茜屋半七の墓碑がありました。事件の直後、これを題材にした歌舞伎が大当たりしたため、座元(ざもと)たちが建立したものです。

他にも歌舞伎役者の墓や著名人の墓も多くありました。それを多くの人たちが散策し、参拝していたのです。遺跡や名所をめぐるように。まさに、千日墓所は観光地としても認識されていたのです。

※ ?座元=興行権の所有者

(2015/01/05)