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「清く・正しく・いつまでも・・・」(4) |女学校と乙女文化

すみれの花~咲く頃~♪1914年、兵庫県宝塚の新温泉で「宝塚歌唱隊」の舞台が始まりました。そして、1919年、宝塚音楽歌劇学校が設立され、学校を母体とした「宝塚少女歌劇団」が誕生しました。世界でも珍しい、未婚の女の子のみが舞台に立てる劇団の始まりです。

宝塚少女歌劇団誕生のきっかけは、創設者の小林一三が「家族で余暇に楽しめる娯楽をつくろう」と考えたからです。

当時、サラリーマンが増え、都市で働き、郊外に住むという生活スタイルが始まりました。
そして鉄道会社は、沿線に住宅地を開発し、デパートや娯楽施設をつくり、平日も休日も人びとを電車に乗せるシステムを造り出したのです。ちなみに、阪急電鉄が最初に開発した住宅地には、逸翁美術館、池田文庫、小林一三記念館などがあります。

さて、小さな温泉村に誕生した少女歌劇は、またたく間に人びとの人気娯楽へと成長していきました。
1924年、宝塚大劇場がオープンし、岸田辰彌(「麗子肖像」で有名な岸田劉生の弟)演出による日本初のレビューが上演されます。ラインダンスが始まったのもこの頃です。1934年には、東京宝塚劇場がオープンしました。

少女雑誌にも宝塚スターの写真やインタビューが掲載され、華やかな舞台と素敵な宝塚スターは、少女たちを魅了しました。

2014年100周年を迎えました宝塚歌劇団。これからも「清く・正しく・美しく」あってほしいです。

(2014/05/07)